蒼穹への扉
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時のある場所

 
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この空間にくる前のこと──楽しかったこと、悲しかったこと、うれしかったこと、怒ったこと、泣いたこと…。数え切れぬほどの日々の出来事。家族の顔が、友人の顔が頭の中を駆け抜ける。嫌なこともたくさんあった。悲しいこともたくさんあった。
でも、でも──
「──私は戻りたくなんかない」
戻りたくなんか──ない…。
目がさめてしまったら、また憂鬱な1日が始まる、そんな生活なんてもう絶対嫌だ。他人の顔色ばかり伺って過ぎる時間──そんな時間より、ここで、いつまでもひとりで静かに過ごしたい。
「ひとりで?」
「そう、ひとりで。いつまでもひとりで!」
「ずうっとひとり?悲しいこともないぶん、うれしいこともない。それでも君はずっとここにいたい?」
「──」
「周りをよく見てごらん」
少年の言葉に、私は周りをぐるりと見渡した。
今まで自分一人だけだと思っていたそこには、いくつもの球が漂っていた。しかし、私のそばにいつもあるその球とは異なり、どんよりとした濁った青い色をしている。中の時計は錆びつき、あるものはネジがとれ、あるものは針が折れていた。
「あれは?」
「君のように、ここに逃げ込んで、ひとりでいることを願った人の魂…」
私は不意に恐ろしくなってたずねた。
「──私も…ああなるの?」
少年は私の問いには答えず、動く気力をなくした時計達を悲しげな瞳で見つめていた。
「人間って傷つきやすいから、嫌なことがあると、それまでにあったはずの楽しいこともうれしいことも忘れちゃうんだ。きっと楽しいこともたくさんあったはずなのに」
「使い古された言葉ね」
私はくすりと笑った。少年もつられて笑う。
「帰る?それとも…」
聞かなくても自分ではもう決まったのだろうけど、と少年は微笑んだ。
「私の時間は…」
「ここには──ない?」
「そうね」
そこで少年は真面目な顔になる。
「逃げるのが悪いわけじゃない。悲しければ、つらければ逃げればいい。だけど…」
逃げていたままでは何も始まらないし、変わらない。ここで逃げたままでいては、いつまでたっても私の心は閉じこもったまま、いつかはここで漂うあの時計たちのようになってしまう。時を刻むことを忘れた錆びた時計に。
「ありがとう…」
「もう、ここに来たりしちゃだめだよ…」
私はにっこりと微笑む。少年も優しく微笑んだ。
「あなたの…」
私はすうっと体が上っていくような感覚に襲われながら、少年の瞳を見つめた。少年の瞳が大きく見開かれた。少年の球体と同じように真っ青な瞳に吸いこまれそうになりながら、私は静かに目を閉じた。
次に目が覚めたときは、「現実」の世界。私の「世界」。


──こうして、迷いこんだ魂がまた一つ、元の世界へと戻っていった。
1秒進んだぼくの時計。この時がとまった空間で、唯一ぼくの時計が針を進めることができる瞬間。こうやって、迷いこんだ魂を元の世界へ導くたびに、1秒ずつ時を進める。けれども、いくら時を進めることができでも、帰っていく魂のようにぼくが元の世界に帰ることはできない。 

──ずうっとひとり?悲しいこともないぶん、うれしいこともない。それでも君はずっとここにいたい?──

少女に問うた自分の言葉。
「ぼくは…」
心が締め付けられる…。帰ってしまった少女の魂。ぼくをおいて。ぼくをまたひとりおいて帰ってしまった。
ぼくは永久にひとり。ここで。もう、元の場所に帰ることは許されない。永遠に。
そう、永遠に──。

──あなたの…あなたの球の色は、あなたの心の色…ではないの…?──
 
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