蒼穹への扉
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さくら咲くころ

 
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「僕はもう充分過ぎるくらい生きたんだから」
 そう……長過ぎる年月を過ごしたのだ。自分は。
 たとえ開発が行われなかったとしても、自分の寿命はもういつ尽きてもおかしくないくらいなのだから。
「でも……そんなの、人間の勝手だわっ」
 そして、その自分勝手な人間なのだ。彼女自身も。
 情けなくて涙がこみ上げてくる。
「――ありがとう……」
 でも、もういいから……少年の瞳はそう言っているように思えた。
「あ…雨……」
 天に手をかざし、やっぱり降ってきたね、と彼は呟いた。
 春の生ぬるい雨は次第に勢いを増していく。桜の樹が多少の雨は防いでくれるものの、少年もさくらもあっという間にぐっしょりと濡れてしまった。
「こっち、こっち」
 少年に手を引かれ、さくらは樹の根元にぽっかりと大きく口を開けているうろに入りこむ。
「ここなら、雨も入ってこない」
 彼が言うとおり、うろの中には雨も入りこんではこなかった。外で降り続く激しい雨音を聞きながら、さくらは小さく息をつく。
 と、ふいに甘い花の香りがしたかと思うと、彼女を強い眠気が襲った。
「雨がやむまで眠ったら? 大丈夫、ここならね」
 樹の温もりと、少年の優しい言葉にうつらうつらとしているさくらのまぶたを、彼はそっと閉じてやる。
「安心して眠りなよ」
 そして、いつかまたここで桜が咲く頃に会おう、そう耳元でささやく彼の言葉を最後に、さくらは深い眠りにおちていった。

(あ…さ……?)
 さくらはまぶしい光を感じて目を開いた。
 昨日の大雨は嘘のようにやみ、頭上には真っ青な空が広がっていた。
「!」
 さくらは自分が樹のうろにいたことを思い出し、はっとなって立ち上がった。
「――……」
 涙が瞳からほたりと零れ落ちた。
 少女の双眸に映ったのは、自分を守るようにしてうろの部分だけを残し、大地に身を横たえる大樹の姿だった。
「――ど……こ……?」
 共にいたはずの少年の姿が見当たらないことに気づき、さくらはあたりを見まわす。だが、どこにも彼の姿は見えない。
「どこに…行っちゃったのよう……」
 倒れてしまった大木の前で大きな不安がさくらを襲う。

――桜は僕。そして僕は桜。生死をこの桜の木とともにする者――

「う……そ…でしょう……?」
 しかし、それを否定する声はない。
 すべてを悟った瞬間、さくらは大声を上げて泣き出した。
「出てきてよ。また会おうって言ったじゃない……」
 ――だが、あの桜の樹と名乗った少年は二度と彼女の前に姿を現すことはなかった。
 裏山の開発はその後、住民たちの強い反対にあい、見送られたことをさくらは知った。しかし、次の春がやってきても、さくらが裏山に足を踏み入れることはなかった。

*                  *

「ママ、ママ」
 幼い息子が小さなほっぺを上気させ駆け寄ってくる。
「どうしたの」
 小さな我が子は、大事そうに閉じていたてのひらをそっと開いて私に見せた。私はかがみこんで息子と同じ目線になると、その小さなてのひらのものを受け取った。
――桜の……花……。
 薄ピンク色の桜の花びらがそこにはあった。幼い頃、遠い昔に見たあの桜の花びらが……。
「ママ、ぼくね、さくらのおにいちゃんにあったよ」
 彼は裏山を指差しながらにっこりと笑った。幼い瞳はまるで宝物を見つけたかのようにきらきらと輝いている。
 私はその日、ひとり裏山へと足を運んだ。
 やはり、あの大きな桜の樹はなくなってしまっていたが、かつて大木があったその場所には、立派に成長した一本の桜の樹があった。
 あのときと変わりないその景色を目の当たりにし、私は懐かしさのあまり目を細める。
「――聞こえる? 私よ、さくらよ……」
 幹に顔を近づけてそっとささやく。だが、少女の頃聞こえたあの声はもう聞こえない。
 私は空を仰いだ。
 ふわりと優しい風が頬をなでていった。

――桜が咲く頃…ここで……――

 私ははっとあたりを見やる。
 だが、少年の姿はなかった。
 けれども私の心は、遠い昔に忘れてきてしまった大切なものを、再び手に入れることができたような、そんな温かな気持ちで満たされていくのを感じた。

 
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