蒼穹への扉
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虹の彼方へ
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 夜中、クイントはタキトとシスヤが眠りについたのを見て、寝袋から這い出た。
 思ったよりも空気が冷たく感じ、クイントはぶるりと身を震わせた。アファカ大陸の南東に位置するトルキアは、冬でも比較的暖かいことが多かった。しかし、今年は珍しく秋の終わりから急激に冷え込み日々が続いている。そういえば、今年の夏も妙な天気が続いた。豪雨が何日も続いたかと思ったら、刺すような日差しの強い日があった。そうかと思ったら、秋を思わせる涼しい日があったり。
 どこかで何かが狂い始めている、いや、もうとうの昔から狂い始めているのかもしれないとクイントは悲しい思いを抱えながら洞窟を出る。
「ヒュホラさん…」
 洞窟の外では一人薪の炎を見つめているヒュホラがいた。
「ん…クイントか。眠れないのか?」
「いいえ…。少しいいですか…」
 クイントはヒュホラの隣に腰を下ろす。
「どうした…?」
 ヒュホラは火にかけてあった湯を器につぐと、クイントに手渡した。
 湯気がゆらりゆらりとゆれるのを見ながら、クイントは器の中の湯を口に含む。単なる湯だと思っていたそれには、少しばかりではあったが茶の葉が入れてあったらしく、ふんわりと茶独特の香りが鼻をくすぐった。それはとても温かく、ゆっくりと喉に通すと、身体ばかりではなく、心までが温まっていくような感じがした。
 クイントはふと器から口を離すと、伏せ目がちにヒュホラにたずねた。
「ヒュホラさん、どうして、戦は起こるんでしょう」
「──難しいことをきくんだな…」
 クイントの問いにヒュホラは驚いたように目を大きくした。
「おれは分からないんです。どうして、人は戦うんでしょう。こんなになるまで、おれたちは戦わなくってはならなかったんでしょう」
 クイントにとって、これはいつも抱えている疑問だった。
 どうして戦は起こるのか。どうして自分たちは戦わなくてはならないのか。
 戦がなければ、人は辛い思いも、悲しい思いもしなくていいのに。なのにどうして人は武器を手にするのだろう。
 子どもだと思っていたクイントのこの問いはヒュホラをひどく驚かせたようだった。
 そうして、ヒュホラはそれまでとは異なる瞳をクイントに見せた。
 それは大人が子どもに見せる無条件の優しさに満ちた瞳ではなく、厳しさを内在したものだった。彼に誤魔化しは必要ない。子どもに言う優しい言葉はいらない。ヒュホラはクイントの瞳からそう感じた。
「──人間はな、欲望ってもんを持っている。だから戦は起こる」
「欲望?」
「そう、自分に無いものを人は羨み、妬む。それを自分の物にしようと人は躍起になる。結果、欲しいものを奪う。心のどこかではそれを悔いながら、な。奪えば当然人の恨みをかうだろう。こうして羨む心から、いつの間にか戦争は起きる──おれはそう思う…」
 そして、恨みと罪悪感の間で人々は今もなお揺れつづけている。自分の仲間をかつて殺した敵、自分の家族を殺した敵…敵…てき…テキ…
 限りない輪のなかで、人々はそれを繰り返している。
 かつての自分もそうだった、とヒュホラは思う。自分にないものを追い求め、奪い、そして失ってしまった…。
「おれはこの戦で数え切れない罪を犯した……。ヒュホラさん、おれは時々、ここから逃げ出したくなるんです」
 ここから逃げ出したい……。
 自分を知らない人達の住む所へ、行ってしまいたい。でも──そんな世界は
「あるわけないんです…」
 どこに行っても、自分がその罪を知っている。
 自分が犯した罪を何よりも、誰よりも深く知っている自分が付いて回る。
 世界のどこまでも、それはついてくる。
 どこまでも、どこまでも……
 クイントはじっと自分の手を見た。
「おれの犯した罪は、多分一生消えることはない──」
 おれは生きつづけなくてはならない。
 死んでしまった家族の分、殺された仲間の分、そして、アネットの分──
 自分が殺してしまった人々の分も、自分は生きつづけなくてはならない。そして苦しむことで、悩み抜くことでその罪を償うしかない。
「それは、罪を償っているんじゃないと思うぞ」
 ヒュホラがクイントの背中に毛布を掛ける。少し寒くなってきたようだ。
「おれも多くの罪を犯した。そして、今も罪を犯しながら生きている」
 クイントは驚きの眼差しをヒュホラに向ける。
「でも、人間ってそういうものだろう?知らず知らずに人を傷つけ、そして自分も傷つけられて生きているものだろう?でも、クイントはだからって相手を恨むかい?」
「いや」
「そうだろう?恨んでいたらきりがない。それに償いのことばかり考えて生きていても、それは結果的には逃げでしかないと思うぞ、おれは」
 逃げ…。償いの意味を考えて生きつづけるのが逃げ?
「だってそうだろう?自分を責めつづければ楽だもんなあ。全て自分のせいにするのは楽だ」
 ──そうかもしれない。
 クイントは唇を噛みしめた。
 自分を責めるのは簡単だ。一番楽だ。誰も恨まず、自分自身を責めつづけるのは、とてもたやすい。他人と関わることを拒み、全ての罪の原因を自分に押し付けるのは。だが、自分を責めているだけでは、何も変わりはしない。現実は決して良い方向には進まないだろう。
 本当に償いたいと思うのなら──。
 本当に自分のしたことを悔いているのなら──。
「もっと先をみることだ」
「もっと先──?」
「お前さんはまだ若い。この先もずっとお前さんは生きていかなくてはならない」
 そして、その先が今と同じ状況でいいはずがない。
 このまま何も変わらなければ、自分と同じ思いをする子供たちが増えつづけるだけだ。
 家族を失い、相手を恨み、そして自分を責め──。
 そんな国に未来はない。
 この混沌としたトルキアを、世界を変えられるのは、ヒュホラのような大人ではない。
「お前さんたちだ」
 強く強くヒュホラはクイントに言った。
 この国の未来を変えるのは、子供であるクイントたちだと──。
「それに、お前がそんなに一人大きなものを背負う必要なんて、ないように思えるが」
 クイントに優しい笑顔を向ける。
「お前には、タキトもシスヤもいるだろう。まだまだ先は長いんだ。そんなに今から何もかも背負い込む必要はない」

天の川の下で 「──」
 クイントは空を見上げた。
 美しい星空が広がっている。天の川がはっきりと天上を横切っているのが見えた。
 ヒュホラといると、心が温かい。母さんといたときにいつも感じていたあの温かさと同じだ。
 クイントは自分がヒュホラに父親を重ね見ていることに気づいた。だから、今まで心の中にしまっておいたものを、口に出すことができている。父親が生きていたら、きっとヒュホラみたいに温かかったのかもしれない。
「だが、おれもお前さんにあんまり偉そうな事は言えんのだけどね」
「?」
「さっき話しただろう。おれがここに来た理由」
 ほら、とヒュホラはお茶をクイントに渡す。
「ヒュホラさんは、なんであんなことをしたんです?」
 ふうと息を吹き掛けながら、ずっとお茶をすすった。
「自由に──自由になりたかったのかもな」
「自由に?」
 自由になりたかった。定められた自分の運命から逃れたかった。
 このまま、生きている理由も分からず、戦のため、とその命を捧げさせられ、そうしてわけも分からないまま死んでいく未来なんて認めたくなかった。
 だが、自分の父親も、そして周りの者たちも、そうやって定められた運命の中で命を失っていった。決して逃れられない運命の輪の中で。
 どうせ同じように戦で死ぬのなら、思いっきり抵抗したかった。他の人ができないことをやって、少しでも自分がやりたいことをやって、そうしてから死にたかった。
「自由に…なれましたか?」
「いや──」
 分からないんだ、とヒュホラは笑った。
 正直言って分からないんだ、と。
 
 
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