蒼穹への扉
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虹の彼方へ
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 クイントの瞳の色が変わった。炎のような真っ赤な瞳──。漆黒の瞳は激しい怒りに満ちた炎の色に変わっていく。
 アネットは薄れ行く意識の中で炎を見た。この世を焼き尽くそうかというほどの激しい炎を。炎と化しているクイントを──。
 猛火はグワッと村人たちを襲った。村人たちは逃げる間もなく、つんざくような悲鳴を上げて炎に呑み込まれた。
「だめ…」
 声を出そうとしたが出ない。
 ああ、だめだ。このままでは…。
 このままではクイントはあの炎で自分自身をも焼いてしまう。その怒りに身を焦がしてしまう。
 ──そして、心優しいクイントはきっと後悔する。
 今までだって、きっと悩んでいたんだ。
 母ニシアが亡くなってから、時々ふさぎ込むようになったのも、あの時のことを悔やんでいたんだ。
 ああ、それなのに、それなのに私は何も分かってあげられなかった…。
 ひとりで悩んでいたのに。こんなふうになるまでクイントはひとり悩んでいたのに。
 自分自身を責めつづけていたのに。
 だめ。だめだわ…そんなことをしては…あなたはまた後悔してしまう…。そして自分を責めてしまう…。自分の存在を──。
「だめーっ」
 最期の力を振り絞って叫ぶ。
 ──あたりをまきこんだ炎が静まった…。
 クイントは徐々にもうろうとした意識がはっきりしていくのがわかった。
「アネット!」
 頭にかかっていた霧が晴れたとき、クイントは我に返って彼女の名を叫ぶ。バッと倒れているアネットに駆け寄った。
 そっと地に伏したアネットを抱き起こす。
 胸が血で染まっていた。真っ赤に。止まる気配はない。
 クイントのよびかけにアネットは僅かにまぶたを開いた。
 よかった…。無事で。アネットは力なく笑った。
「おまえ、タキトと地下に行ったんじゃなかったのかっ」
「ごめんなさい…」
「ばかっ、何言ってんだ」
 手当てを、と立ち上がって行こうとするクイントをアネットは引き止めた。
「もう…いいの。お願い……クイント、ここにいて…」
「アネット?」
 クイントの腕をぎゅっと掴む。
「お願い…」
 クイントは言葉を失った。
 このままではアネットは──。
 だが、アネットはクイントの腕から手を離さない。
「何があっても──忘れないで…」
「もう、しゃべるなっ」
 首を力なく振る。
 ここで話すことをやめてしまったら、もう二度と口を開くことは叶わないということをアネット自身よく分かっていた。
 だから、この命が尽きる前に、大切な人に大切なことを伝えたい──。
「私たち…戦うために生まれてきたんじゃ…ないのよ…」
 覚えておいて。忘れないで。
 私たちが生きている理由。
 私たちが生まれてきた理由。
 そして、私たちが出会った理由──。
 戦の中でしか生きられなかった私たち。
 でも、戦う為に生まれてきたんじゃないはず。
 戦って、殺し合うために生まれてきたんじゃないはず。
 なのに、どうして私たちは戦うのだろう。どうして分かり合えないのだろう。
 憎み合い、殺し合い、そして嘆き、悲しみ、苦しむ…
 そんなことを繰り返して。
 大切な「とき」をそんなことに費やして、今の私たちは生きている…。
忘れないで…わたしたちが生まれてきた理由を――
 アネットは、首に付けていたロケットをクイントの手に握らせた。
「行って…リクウェアに──」
 クイントは目を見開く。
「──クイント、リクウェアであなたの…幸せを…みつけ…て…」
 細い指でクイントの頬に触れる。
 自然に恵まれているというリクウェア。幻の国として語り継がれている国。その国では人々は争うこともなく、平和に暮らしているという。私たちの生きる国とは異なる国。遠い異国の地。
 きっと、そこに行けば…クイントは幸せになれる──。
 この苦しみから解放される。
 人を傷つけるために、自分の身が裂かれるほどの痛みを感じ続けてきたクイント。彼は戦の中で生きていくにはあまりにも繊細な心を持っている。
 誰にもその心をこれ以上傷つけさせてはならない。そう思いつつ、自分はクイントを守ることができなかった。ただ傷ついていくのを見ているしかできなかった。
 だから…。
 行って。リクウェアに。そこで幸せになって。戦のことを忘れて、幸せになって。
 アネットは空を仰いだ。焼け落ちた天井の間から、空が顔を覗かせている。
 青い空──どこまでも澄み渡った空。
 幼い日にみんなで見上げた空と変わらない。
 そして、この蒼天の続くところにきっとリクウェアはある…。
「──一度で…いいから、緑の国…行きた…か…」
 クイントの頬に添えられていた手から力が抜けた。静かに地におちる。
「アネット?」
 幼なじみから返事はない。
「──アネット…?」
 震える手で彼女を揺さぶる。
 だが、その愛らしい唇が開かれることはもう二度となかった。
 クイントはぎゅっとアネットの身体を抱きしめた。
 もう二度と自分の名を呼ぶことも、見てくれることもない大切な幼なじみの身体に顔を埋めた。だが、何故だろう。涙が──出ない…。

 

 どのくらいの時が流れただろう。ふと、クイントは自分の手に握らされたロケットに気づいた。
 銀色の楕円形のロケット。
 アネットの母が、アネットの十才の誕生日に贈ったものだった。大切そうにアネットはそれを身につけていた。

──カパッ──

 ロケットのふたを開ける。

リクウェア 「!」
 中には一枚の絵が入れられていた。
 美しい緑。そしてすんだ青空のような湖。
 それはいつもアネットが行きたいと願っていた夢の国の絵であった。
「リクウェア…」
 クイントは顔をあげた。
「──お前の願いがそうなら、おれは…」
 探そう。リクウェアを。

 緑にあふれるという平和な国を。
 お前のたった一つの願いも、お前が生きているうちに叶えてやることができなかった。
 だから──。
 クイントはアネットの亡骸を腕に抱きながら、立ち上がった。
 行こう…。一生かかっても。
 たどり着いてみせる。
 きっと──。

 三人は、その日、村を出た──。

 

 
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