蒼穹への扉
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虹の彼方へ
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「ん?」
「わたし、おばさまを尊敬しています」
 心の底からそう思う。自分の心を素直に告げた。感謝の意をこめて。
 ニシアは一瞬きょとんとすると、次いでアネットをぎゅっと抱きしめた。
「あたしはアネットの母親でいられることを感謝しているよ」
「おばさま…」
 包丁、とアネットはニシアに抱かれながら慌てて叫んだ。
「危ないわ、おばさまっ」
「ありゃ、こりゃ悪かったねえ」
 二人は顔を見合わせて大きな声をたてて笑った。
 その時だった。突然、外で大きな銃声が響いた。それも一発ではない。連続して、だ。
 ニシアの顔が強張る。
 続いて激しく鐘が鳴った。


 ガランガランガラン…


 敵の襲来を告げる鐘が村に響きわたる。
 アネットは何も言わずに包丁を台の上に置くと、松葉杖に手をかけた。
 ニシアはアネットに目で動かぬよう合図をすると、自分は静かに戸口に向かった。そして、身を隠したまま、そっと窓から外を見やる。
 ニシアはぐっとつばを飲み込んだ。
 武装した兵士たちが銃を手に向こうからやってくるのが見えた。
 そして一軒一軒の家に押し入り、銃を発砲している。
 このままではここにも彼らはやってくるに違いない。
 だが、隠れる場所など…。
 ニシアははっとなって、居間へと駆け込んだ。引き出しを引っかき回し、一つの鍵を手にする。そうして、また走って台所に戻ると、アネットの身体を抱えると地下へ続く階段を駆け降りた。その先には、シスヤが初めの一週間を過ごした部屋がある。
 ガチャリと鍵をあけ、重い鉄の扉を開いた。そうして中に入った直後、背後で銃声が響いた。探せっ、という声が聞こえる。次いで「いたぞ」という男たちの声が…。
 ニシアは扉の内に駆け込むと中から鍵をかけた。こうすれば数分は持つ。その数分の間に…。
 アネットを取り敢えずその場に下ろした。そうして、床の四隅に鍵を差し込みそれぞれ反回転させた。今度は壁に向かう。まず北側の壁のちょうど中央の当たりをぐっと力を入れて押す。押された部分がガクンと音を立てて沈んだ。
 背後の扉で、ガンガンと激しい音が響いた。銃声の音もそれに混じる。
 アネットは思わず耳を抑えた。頭の中は真っ白だ。ぼうっとして何も考えられない。これから先のことも。
 ニシアは、落ちついた様子で次に東側の右はじを同様に押す。やはりガクンと音をたてて壁は沈んだ。最後に西側の壁を。すると、北側の壁の一部がガガガガ…と音を立ててゆっくりと開いた。それを待たずにアネットを抱え、アネットが通れるくらいの大きさに開いた壁の向こう側にアネットを押しやる。と、同時に扉が遂に開かれた。銃声が響く。
「おばさまっ」
 ニシアはぐいとアネットの手に鍵を押しやる。そうして自分はアネットの前に立つと、ぐいと兵士たちをねめつけた。
「そこをどけっ」
「言われてこの場をどくほどあたしは馬鹿じゃない」
 ニシアは壁を押す。と、開いていた部分が徐々に閉じはじめた。
「どかないと撃つぞ」
「どいてもどかなくても撃つ気だろう。結果が同じなら、あたしはどかない方を選ぶけどね」
 ニシアがそう言いおわらぬ内に再び銃声が響いた。
「おばさまっ、おばさまっ」
 アネットは泣き叫ぶ。だが、今や完全に閉まってしまった壁は閉じたまま開くことはなかった。
叫ぶアネット
「アネットの…せいじゃない」
 クイントは低く呟いた。
 アネットのせいじゃない…。これはアネットのせいでは…。
 こんな事態を招いたのは──
「だからって、自分を責めるなよ」
 タキトがクイントの心を感じて、肩に手を置いた。
「アネットのせいでもない。ましてやお前のせいでもない…」
 涙声でタキトは繰り返し呟く。
 全ては……だれのせい?
 シスヤはうなだれたまま顔を上げない。
 肩を震わせ、声を殺して泣いていた。
 クイントは天井を見上げる。こみ上げてきた涙をぐっと呑み込んだ。

 

「ティエンの調子がおかしいの」
 アネットがそう言ったのは、母の死から一月が過ぎようとしたころだった。
 アネットは窓から顔をのぞかせていた。
 クイントとタキトは目を合わせると、中に入る。
 中の居間では、シスヤとアネットが一つの装置を前に首をひねっていた。
 「ティエン」──それは一種の画像受信機である。透明な球体をしており、それが木製の台の上に乗っている。そしてその台には白いボタンと赤いボタンの二つが並んでいる。赤いボタンを押せば、画像が受信でき、白いボタンを押せば、それを止めるという仕掛けのものだった。トルキアではごく普通のもので、たいていの家庭には普及している。
 なぜならばそれは、国からのニュースや情報といった類の国民への呼びかけが直接行われる唯一のものであったからだ。
「映らないのよ」
「どれどれ」
 タキトがのぞき見る。赤いボタンを試しに押してみたが、やはり画像は映らない。
「古いからなー、壊れたんじゃねえの?」
「そうかしら」
 アネットはしきりに首を傾げている。
 クイントはつかつかと近寄ると、バンと思い切りティエンを叩いた。
「おいっ、おま…」
 タキトが言いおわらぬうちに、画像が浮かび上がる。
「ほお…」
 やっぱりポンコツだと、タキトは溜め息をついた。
「……せよ…」
 雑音混じりに音声が聞こえる。
 画像はどうやら中央軍の者のようだ。乱れており、はっきりとはわからないが、どうやら幹部クラスの、しかもかなりお偉いさんのように見えた。
「何かあったのかしら?」
「──あったとしても、おれらがどうこうできることじゃねえしな」
「……敵を…る…は……殺…」
「?」
「……さあ、武器を持て…」
 何か様子がおかしい、そう誰もが感じた。
 彼は一体何を言っている?
「…守るため…敵を……殺せ…」
 みなは顔を見合わせた。
 誰の顔もみな強張っている。
「──な、何…ってんだよっ」
 タキトは白いボタンを押した。
 画像がスッと消える。
 シスヤはガタガタと震えだした。
 アネットがそっと優しく肩を抱く。
「大丈夫、大丈夫よ。だれもあなたを傷つけたりはしないから」
 だれにもあなたを傷つけさせはしないから──アネットは不安げにクイントに目をやった。クイントは何も言わない。ぎゅっと唇を結び、宙を睨みつけていた。

 

 そうして、ティエンがおかしな方向へとその道を変えてからさらに一ヵ月がたった。
 今では秋の色がすっかり濃くなり、秋寒くなってきていた。丘の上の木々はその枝枝に木の実を実らせ、葉を赤や黄色に染めていた。
 あの事件で生き残った村の者はわずか五十名ほどだった。実に百人以上が、犠牲になってしまった計算になる。
 なぜあんなことが起こってしまったのか。それは言わなくとも分かっていた。三人の心のなかでもその原因ははっきりすぎるくらい分かっていた。だが、誰もその原因を口にすることはなかった。彼が傷つくから──。

 
 
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