蒼穹への扉
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「アネット」
 いつものようにやってきたアネットを、シスヤはまっぐな瞳で見つめた。
 今までとは違うシスヤの目を見て、アネットは黙ってその場に腰を下ろした。そしてシスヤの視線を正面から受け止める。

シスヤ 「おれは…」
 シスヤはそこで、目を伏せる。そうしてぐっと決心したように、再び顔を上げた。
「おれは、反中央軍から」
 一息入れる。そして、強くこう続けた。
「逃げてきたんだ」
 アネットはシスヤから視線を逸らさない。じっと、シスヤを見つめつづけた。
 シスヤも、そんなアネットの眼差しに答えるかのように、震える声で言葉を続けた。
「おれは、帰りたい…ん…」
 涙がこみ上げてきた。
 帰りたいんだ。村に。家族のもとに帰りたいんだ。
 そのために逃げてきたんだ。命懸けで逃げてきたんだ。
「ありがとう」
 アネットの白く柔らかい手がシスヤの頬に触れた。
「もう、いいのよ…」
 優しい声がシスヤを包む。
「あなたをご家族のもとに帰してあげる」
「ほん…とう?」
 にっこりとアネットは笑って頷いた。
「本当よ。きっと帰してあげる」
 ちょっと、待っていて、と告げると、アネットは松葉杖をついて地下室から出ていこうとした。そうしてドアの所で立ち止まる。
「──二人を呼んでも構わないかしら?」
 シスヤは内心どきりとしながらも、微かに頷いた。
 五分後──地下室には、シスヤとアネットに加えて、呼ばれて来たクイントとタキトがいた。
 中央にトルキアの地図を広げ、それを囲むように四人は腰を下ろす。
「この村の位置はここだ」
 クイントがトルキア北東部の一部を指さす。
「シスヤの村の名は?」
「──トゥーサ」
 少し躊躇ったあと、それでも、シスヤははっきりと自分の村の名を告げた。
「え…?」
 思わず聞き返す。
「トゥーサだよ」
 再びシスヤははっきりとそう言った。
「知ってる?」
「え、ええ…」
 アネットの心臓がばくんと鳴った。クイントとタキトの顔が強張る。
 身体が震えた。
 どうして、どうしてよりによってトゥーサなの…。
 シスヤの瞳は期待で満ちている。
 疑いのない瞳。
 自分の願っていることががきっと叶うと信じて疑わない──瞳…。
 シスヤのまっすぐな眼差しに堪えられなくなって、アネットは視線を落とした。
 何といえばいい?
 この子は信じている。未だ自分の生まれた村があるということを。そこに家族がいるということを。
 だけど…。
  「トゥーサ」──アネットは心の中で反芻する。
 あの村は──。
 この村からさらに北へ四十キロほど言ったところに谷がある。トゥーサはその谷底にある集落、いわゆる谷底集落であった。一年の多くを霧で包まれ、まるで龍でも住んでいそうなところ。故に別名「龍の住む村」とも言われていた。
 人口二百人ほどの本当に小さな村であると聞いたことがある。
 しかし、一月ほど前のことである。
 村が襲われた、という知らせが伝わってきた。村は壊滅状態になり、多くの者が殺された、と。耳を覆いたくなるような噂が流れる。老人も女も殺された。そして子どもは連れていかれた、と。
 理由は分からない。ただ、運良く生き残った者が言うには、村を襲った者たちは「見せしめだ」と言ったという。
(まさか…)
 アネットは唇とぎゅっとかんだ。
 シスヤが…。
 ぶんぶんと首を振る。
 考えたくない。そんなこと──考えたくない。
「アネット?」
 シスヤの呼びかけに、はっと我に返る。
「おれの村…は?」
 みるみるうちに青ざめていくシスヤの顔。アネットの反応に、嫌な予感を感じた。何とも言えぬ不安が彼の心中を侵していく。
「おれの村はどうなったんだ?」
 教えてくれ、と詰め寄る。
 アネットは答えられない。顔を背けたまま押し黙っている。
「教えてくれ、おれの村はっ」
「──トゥーサはもうない」
 シスヤの左隣に座っていたクイントが真実を告げた。抑揚のない渇いた声で。
「え…」
 シスヤの腕から力が抜ける。
「う…そ…だ」
 三人は何も答えない。
「うそだ、うそだ、うそだっ」
 シスヤは泣き叫ぶ。
 うそだ、村がもうないなんてそんなのうそだ。
 そんなこと、信じられない。
 そんなこと、考えたくない。
「──ごめんなさい…」
 アネットは顔を覆う。
 おれの帰るところ。おれの家族。おれの…。
 だけど。
 シスヤは胸に手をやる。
「わかって…いた…はず…だ…」
 嗚咽を上げながら、呟く。
 わかっていたはずだ。自分が逃げ出したらどうなるか。自分が逃げたことで、あいつらはどういう行動に出るか。
 今までも見てきたはずだ。逃げ出したやつがたどる末路を。
 それなのに。
 それなのに、おれは。
「帰りたかっただけ…なのに…」
 会いたかっただけなのに。
 そんな些細な願いも──叶えられない。
「おれがしたことは間違っている…の?」
 アネットは首を振る。口に手を当てたまま首を振る。
「おれが願ったことは間違いだったの?」
「──そんなこと、ない」
 タキトが強く否定した。
「お前が望んだことは間違いじゃない。お前がしたことは間違いじゃない」
「じゃあ、なぜっ。なぜこんなことになったんだ」
 運が悪い?生まれた時代が悪い?生まれた場所が?
 どうして?
 シスヤは泣きながら問いかける。
「おれはっ、どうしたら…い…い」
「お前は──どうしたいんだ」
 逆にクイントが問う。
「お前はこれからどうしたい。何をしたいんだ?」
 おれは…。
 復讐をする?──否。復讐を試みたところでかなう相手ではない。
 村に帰る?──否。帰っても、もう誰もいない。
 あそこに帰る?──否。帰れば二度と生きては出られない。
 
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