蒼穹への扉
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虹の彼方へ
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 丘の墓地を後にしたクイントはわが家へ向かった。
「おいっ!クイントッ!」
 先ほど別れたはずのタキトが息を切らせながら走ってきた。
「なにやってたんだよ!早く戻れっ!」
「──なんかあったのか?」
「なんかあったのかじゃねえよっ。ったくお前は!アネットが大変なんだ!」
 クイントの表情が険しくなった。
「アネットがどうしたっ!」
 タキトに掴みかかったクイントの手を、タキトは払いよけると厳しく言い放った。
「んなこと言ってる前に、さっさと家へ戻れっ!」
 タキトの叱咤の前に、クイントは言葉を失い、無意識のうちに走りだした。
 頭の中は真っ白だ。
 何があったんだ?
 考えようとすると、もやっとした霧がクイントの思考を遮る。
 最悪な状態を考えることを避けようとする本能。そうとでもいうべきものが働いていると言えばよいのだろうか。
「放せっ!」
 目指す先にクイントは人だかりができているのを見つけた。
 自分の家の前に三、四十人の村人たちが集まってきていた。
 その人込みのなかから少年の声が聞こえてくる。
「クイント……」
 クイントの姿を見つけた人々はクイントが通る道をあけてやった。
 クイントはただ呆然と、その開けられた道を通ってゆく。
 開け放たれたままの扉。中へは転々と血痕が続いている。
 さっと血の気が引く。
 ──だれの血だ?
 その答えを探そうとするが、答えが出る寸前ですべてが消えてしまう。
 ドアのちょうど横では、一人の少年が数名の男性に取り押さえられていた。
「くそっ」
 少年はクイントの姿をみると、ペッとつばを吐きかけた。
 しかし、そんなことを少しも気にもとめず、家のなかへと入っていく。まるで足が地についていないかのようにふらふらと。
「この、すっとこどっこい。一体、どこにいってたんだいっ! あんたが、あんたが守ってやんなくちゃいけないんだろうっ! なのにっ」
 母親ニシアの怒りにも似た声がクイントを直撃した。
 いつもきれいにくしを入れ、後ろで結い上げている髪は乱れ、ところどころほずれていた。クイントの姿を見て、幾分ほっとしたかのようであったが、元気がとりえの顔もまるで死人のように青ざめている。
 クイントは、母のそんな姿を見て、震える声でたずねた。
「──アネット……は……?」
 ニシアは奥の部屋を指さした。
「今、奥で手当てしてるよ」
「無事……なのか?」
「ああ、足をやられたがね」
 ホッと安堵の息を漏らす。重力が一気に戻ったかのようだった。だが、クイントの表情とは対照的に、ニシアの顔は晴れない。
「あんた、わかってんのかい?」
「何が?」
「命に別状は無いよ。だけど……」
「だけど?」
「あの子の足は……」
「──……」
「もう──」
「──冗談だろ?」
「冗談でこんなこというか」
 いつの間にか背後に来ていたタキトが呟いた。
「もう、アネットの右足は動かなねえってよ。── 一生な」
 クイントはその言葉に全身が凍りついたように動かなくなった。
 茫然とその場に佇むクイントの側でニシアが唇をかみしめつぶやく。
「あたしが悪いんだ…あたしが側にいたのに…」
「おばさま、やめて」
 突然隣の部屋のドアが開けられる。医者のヌカタと共に治療を終えたアネットが姿を現した。
 松葉杖をついた姿が何とも痛々しい。
「なにも、おばさまが悪いんじゃないわ」
 アネットはウェーブのかかった亜麻色の髪を揺らしながら、ゆっくりとクイントの側へ近づくと、ちろりと舌を出して笑った。
「どじ踏んじゃった」
「──……」
「──クイント?」
「──ごめん……おれが」
 クイントの言葉をアネットは遮った。
「なぜクイントの責任なの? 全ては私の不注意から起こったことよ?」
「でも!」
「これ以上私にいわせないで、クイント。あなたが悪いんじゃないの。もちろんおばさまが悪いんでもないのよ」
 アネットは少し怒ったようにクイントを見た。
 だが、表情を和らげると、小さく微笑んだ。
 クイントにはもうこれ以上何も言えなくなってしまった。
 白衣をまとったヌカタはクイントの背後からそっと近づき、しわだらけの手を肩に乗せた。
「不幸中の幸いだよ。命が助かっただけでもよかったと喜ぶべきだね。なにしろ──」
「?」
「なにしろ、あの子は一歩間違えれば、いまこの世にはいないというほどの距離から撃たれたんだから」
「撃たれた?」
 ヌカタはおやと言うようにクイントをまじまじと見た。
「なにも聞いてないのかね?」
 こっくり頷くクイントを見て、ヌカタはタキトに目を向けた。
 ヌカタと視線の合ったタキトは申し訳無さそうに視線を落とす。
「こちらも、よほど慌てていたと見える」
「で、どういうことなんです?」
「戸口にいた少年を見たかね?」
「はい」
「あの少年が銃を持って突然押し入ってきたんだよ。この家にね」
「この家に?」
 クイントはタキトを見た。
 タキトは困ったように戸口の方をあごでしゃくった。
「おれが知ってるわけねえだろ。あいつに聞けよ」
 タキトがそう言い終わらないうちに、アネットが戸口へ向かった。
 クイントも続いて出ていこうとしたが、不意に立ち止まるとヌカタを振り返った。
「──ヌカタ、ありがとう」
「──いいや。当然のことをしたまでだよ」
 一瞬、驚いたような顔をしたヌカタはにっこりと笑った。
 いつも無愛想であるクイントも、アネットのこととなると事のほか真剣になる。そんなクイントが年老いたヌカタは好きだった。まるで、この戦で失った自分の孫を見ているようで──……。
 クイントは少年に近づいた。
 少年はまだ幼かった。恐らく十かそこらであろう。現在十二の自分よりもずっと幼く見えた。自分が大人びている、と言われる分、そう思えるのかもしれない。
 汚れた深緑色の服の下から見える細い腕。ギュッと腰のあたりで上着を青い紐でしばっている。そして上着と同じ色のズボンに茶色のブーツ。標準的なトルキアの子供たちが着る衣服と大差ない。だが、その素材は自分たちが着ているものよりも幾分高価に見えた。
「──」
 クイントの目が、少年の腕で止まる。よく見ると、ところどころに傷痕があるのが分かった。それも擦り傷といった類のものではない。紫色のあざとなっている。殴られたりしない限りできるものではない……。
(これは……)
 少年の前に来ると、少年と目線を合わせるために膝を突き、そしてじっと少年の目を見た。
 少年の焦げ茶色の瞳には、憎しみが溢れていた。燃え立つような、そして周りの人間に対する憎悪──そのなかに、寂しげな色が漂っているのをクイントは見逃さなかった。

「──お前、なんでこんなことした?」
 静かだが、重みのある声でクイントは尋ねた。
 本当なら一発ぶん殴ってやりたいところだが、クイントはぐっと堪える。
「当たり前だ!殺される前に殺すのが当たり前だろ!」
 少年は今にもかみつきそうな勢いである。
「今は戦争中なんだっ。おれは生きるために撃った。何が悪いっ」
「──そうか」
 そうだよな、クイントは少年を押さえ込んでいる村人を見やった。
シスヤ
 村人はクイントの視線に気づき、「どうする」と目で尋ねる。
「とりあえず、こいつの件に関しては任せてもらえますか?」
「──大丈夫か?」
「さあ?」
 クイントのすっとぼけたような返事に、緊張が高まっていた村人たちに安堵の息が漏れた。
「おまえに任せるよ」
「どうも」
「おまえなら心配はいるまい」
「そうですかね」
 村人たちはクイントが無愛想ながらも、子供たちに慕われている理由をきちんと知っていた。
 彼は決して不実な行為を許さず、誰に対しても平等に振る舞う。
 そんなクイントにみなが一目置いていた。
 クイントのそのような性格は、十年前の戦で死んだ父親にそっくりだと母はいう。
 クイント自身、父親がどんな人であったかは覚えてはいないが、そう周りの者に言われるたびに、自分の中に父親を感じるような気持ちになった。
「さてと……」
 村人たちが去っていった中で、クイントは少年の腕をぎゅっと掴んだ。
「どうするの?」
 アネットが松葉杖をつきながら、近づく。
「さてね」
「──殺すつもりか?」
 タキトは少年の頭をつついた。
 少年の肩がびくっとその言葉に反応する。がたがたと震えているのが、クイントにも分かった。
(そうだよな……。こいつだって死ぬのは怖いんだ。まだ、こいつはおれより幼いんだからな)
 クイントはアネットのほうに意見を求める。
「どうする?」
「そうね……」
 アネットはにっこり微笑みながら、少年の顔を覗き込んだ。
「悪いことをした罰に──お夕食は抜きね」
「夕食か……そりゃきついぜ」
 タキトがおどけてみせる。
 少年はあっけにとられ、ぽかんと口を開けていたが、急に暴れ出した。
「ふざけんな!殺すならさっさと殺せっ!こんなところにいられるかっ」
 少年が暴れた拍子に、少年の正面にいたアネットは体制を崩した。
「おっと」
 タキトが危機一髪のところでアネットの身体を支える。
「なにをする」
 ぼかっとクイントは軽く少年の頭に拳骨を落とした。
「仕方がないな、暴れんなら家に入れるわけにもいかないし……。お前、地下牢に放り込まれたいか?」
 
 
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