蒼穹への扉
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 それから、伊吹はときおり瑠璃と会うようになっていた。
瑠璃は本当によく笑う少女だった。
 笑うと桃色の頬に可愛らしいえくぼができるのが印象的だった。
 つられておかしくもないのに、伊吹の顔にも笑みがあふれた。長い間、笑うことを忘れてしまっていたはずなのに、瑠璃といると、自然に笑うことができる。
 そんな自分に最初はとまどっていた伊吹も、何度か会ううちに、それが当たり前のようになっていた。
 伊吹は奉公の身。使いのとき以外に、村の外に出ることなど滅多にない。朝早くから夜は遅くまで働きつづける。死ぬまでずっと。両親の借金は、伊吹が年老いるまで働き続けたとしても、決して返すことができない額になっていたのだ。だから、瑠璃と会うことも自由にはできない。
 それでも、伊吹は時間を作っては、それがほんのわずかな時間であっても、瑠璃に会いに行った。
 会うのはいつも村はずれにある大樹の下。
 村人たちがやってくることもないその場所が、二人のひとときを楽しむ場所となっていた。本当であるならば、瑠璃が村に来てくれればもっと会うこともできたはずだ。
 だが、瑠璃は極端に村に近づくことを嫌がった。
「どうして瑠璃は村に住まないの? こんな森の中じゃ、不便だろう? それとも人は嫌い?」
「違う」
 瑠璃は首を振った。
「あたしは村には住めないの。あたしが嫌いなんじゃないの。村の人たちがあたしを嫌いなの」
 今にも泣き出しそうな顔で、それでも瑠璃は笑んだ。
 ああ、触れて欲しくないのだな、と察して伊吹はそれ以上問うのをやめた。
 そうでなくとも、瑠璃はもともとあまり自分のことは話したがらなかった。
 気にならない、といえば嘘になるけれど、一度訊ねて今にも泣きそうな顔を向けられて以来、伊吹も話題にするのを避けていた。
 別に瑠璃がどんな素性の人間だって、関係ないのだ。
 今、こうして向かい合っている「瑠璃」という少女が自分の大切な友人である、という事実のほうが何倍も大切なのだから。
 生まれて初めて心から友と思える人に出会ったことに対する喜びに、胸がいっぱいになっていた伊吹には、瑠璃の素性などたいしたことでなかったのだ。
 だが、あるとき、そんな瑠璃の口から思いがけない言葉が飛び出した。
「あたしも本当なら村に住みたい。だけどだめなの」
 瑠璃自身が言い出したこととはいえ、いつもは避ける話題にどう答えて言いか分からず、伊吹は困ったように目を伏せた。
 瑠璃もまた伊吹の心に気づいたのだろう。
 努めて明るい声で続けてこう言った。
「あたしはね、不幸を運ぶんだって」
「――どう…して?」
「あたしがいるとね、周りの人に悪いことが起こるんだって」
 瑠璃は空を仰いだ。
 どこまでも続く青い空。たくさんのいわし雲が真っ青な空に広がっていた。白と青の色合いはとても美しく、見ているだけで心が澄んでいく。
「父さんが母さんを殺して村を出ていってから……。あたしの周りで何か起こると、それはぜんぶあたしのせいだ、って……」
(殺……した?)
 ああ、と伊吹は息を呑む。
 そういえばそんな話をずいぶん昔に聞いた気がする。
 そう、十年も前のことだっただろうか。
 村に若い夫婦がいた。幼い可愛い女の子に恵まれた夫婦は、それは幸せそうに見えたという。だが、何が原因か、夫がある日、妻を殺害し、幼い娘をも手にかけようとした。
 村人が騒ぎを聞きつけ、間一髪のところで娘だけは助けられたが、そのときすでに母の方は息絶えていた。
 一度は捕縛された男だったが、見張りの不意をついて逃げ出した。その後の行方はようとして知れない。
 そのまま遠くに逃げ失せたのかもしれないし、あるいは山に逃げ込んだはいいが道に迷い命を落としたのかもしれない。
 ただ、村には幼い娘だけが残された。
「それがあたし……」
 伊吹の瞳に戸惑いの色が浮かんだのを、瑠璃は気づいたのだろう。伊吹から視線をそらした。
 ほたりと、瑠璃の大きな瞳から涙がこぼれるのを見た伊吹は、無言のまま瑠璃の手を握った。驚いたように瑠璃は伊吹を見やる。
 少女に生きていく場所は残されていなかった。
 罪を犯した男の娘。
 不憫だとは思うことはあっても、誰も進んで瑠璃を引き取ろうなどとはしなかったという。いつかこの娘も……。誰の心にもそういった思いがあったのかもしれない。
 初めのうちは同情的だった村人たちも、やがて毛嫌いするようになり、とうとう少女は村を追い出されたそうだ。
 不幸を運ぶ娘として。
「だからあたしは村にはいけない。あたしが村に行けば、きっと村の人が不幸になる」
「そんなの……」
 あるわけない、と伊吹は瑠璃を強く抱きしめた。
 いつもは元気な瑠璃が、声を殺して泣いているのが伝わってきた。
「ぼくは瑠璃と会って幸せになれたんだよ? 瑠璃に会えるから、辛い毎日も我慢できるようになった」
 伊吹の言葉に、瑠璃は肩を震わせた。
 嗚咽しながら、彼女は小さな声で言った。「ありがとう」と――。

 
 
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