蒼穹への扉
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第二章 迷い

 

 シャランシャラン……
 
 小夜(さよ)の手首につけた鈴が鳴るたびに、人々はほうと感嘆の息をついた。
 美しき舞い人の姿に……。

 あの日、伊吹を別れた小夜は見慣れた道を急いで村へと向かった。伊吹が送ってくれた場所から、村までは半刻もかからなかった。
 木々の間からやがて村の家々が姿を現すと、小夜は大げさなほど大きな安堵の息をついた。
 小夜の村は四方を山に囲まれた盆地にある。
 自然がもたらすおいしい水や木の実。そして、豊かな大地に優しく降り注ぐ、太陽の恵み。人々はそんな環境で、昔ながらの狩りと耕作による生活を続けていた。
 村の運営は村長を中心とし、その補佐として数人の「守人もりと」と呼ばれるものたちが行っている。何かあれば、村人たちはまず守人に相談する。その守人たちでたいていのことは解決する。が、まれに守人の手に余ることもある。そのときは、村長に申し立てを行なうことになっていた。
 守人は村の中でも選ばれたものたちがその任についており、常時三人がその任にあたっていた。欠員がでれば、村人たちの中から自分こそがふさわしいと思うものたちが自ら名乗り出る。村長はその者たちにそれぞれ異なる試練を与え、乗り越えることができた者が後任者として選ばれるしきたりとなっていた。
 また守人とは別に、村には「森告げの巫女」と呼ばれる者がいた。常時は薬草の調合などを行い、医者のいない村では、いわばその代わりを果たしていた。もちろん、祭りともなれば、巫女の本領発揮といったところで、欠かせぬ存在となる。その大切な役目は、代々村にある社の家の者が継いでおり、現在は村長と同年代のユサという名の女性がその役目を担っていた。小夜が「おばば」と呼んでいるのが、まさにこのユサであった。
 そして巫女を語る上で忘れてはならぬものが、この小夜が住まう村とは切っても切れぬ深いで結ばれている村の東方に広がる森だ。森の東側の最奥は特に神の住まう神域とされており、ここに入りこんだが最後。生きて帰ることはできないと村では言い伝えられている。
 それゆえ村人たちは森に入り込んでも、決して神域までは行くことはない。人々は森で薬草を探し、また、日々の糧を得ることもあったが、どんなことがあっても、神域に近づくことはなかった。それだけきつく巫女から言い聞かされているのだ。
 方角からして、小夜が神域に迷い込んだことは疑いようがなかった。だから、こうして無事に帰ることができたことが、奇跡のように思えた。
(絶対このことはいえないな)
 小夜はぶるりと身を震わせた。
 二晩帰らなかっただけでも、きっと大騒ぎになっているに違いない。その上、神域に迷い込んでしまったなどと言ったら、巫女のおばばも父も卒倒しかねない。
 それくらい、村人たちにとって「神域」は侵してはならない神聖な領域なのだ。
「小夜!」
 村にたどり着いた小夜を真っ先に見つけたのは、隣の社に住む巫女のおばばだった。
 かつては黒曜石のようだとまで言われた見事な黒髪は、いまやすっかりと白銀色に色を変えている。しかし、その白髪もまた美しく、冴えた夜空に輝く月を思わせる。
 上は白い着物、下は赤い袴を身につけ、首にはこの村特産の青い玉がついた守りを下げていた。
 おばばはこの寒空の中、村の入り口にある大きな楓の木の下、色づいた葉を手にして立っていたのだ。
 小夜の姿を見つけると、手に持った葉をひらひらと振った。
「おばばっ!」
 小夜は足の怪我も忘れて駆け寄る。
 そうして、おばばの前に来ると、おばばが口を開くより先にぺこりと頭を下げた。
「すまないっ。――ずっと待っていてくれたのか?」
 眉間にしわを寄せて険しい顔つきをしていたおばばだったが、素直に謝られたのと、元気な小夜の顔を見て、そんな気持ちもすっかり失せてしまったようだ。
「どこに行っておった?」
 おばばは小さくため息をつきながらも、小夜に優しく問うた。
「ん……ちょっとな……森で迷ってしまった」
 小夜はおばばからすっと視線を外したのを見て、おばばは苦笑する。
「嘘をついても何もならぬわい。ほれ、お前の目は嘘だと言っておる」
「嘘などいってはいないぞ」
 躍起になって小夜は否定した。
 そう、嘘ではない。森で迷ったことは紛れもない真実だ。ただ、ちょっぴりおばばには言えないことがあっただけで。
「本当かえ? 森で迷ってどこぞへ行っておった?」
「ちょっとしたはずみで足を滑らせたんだ。けど、親切な人が私を助けてくれた。足は少しくじいたんだが、手当てをしてくれた。それで……」
「それで、その人の元におったのか?」
「そうだ。どうにも歩けなくってな」
 嘘じゃないぞ、これも事実だ、と小夜は心の中で舌を出した。
「ほほう、それは大変だったな。して、その親切なお方はどこぞへ?」
「私も礼がしたかったのだがな。事情があってこちらにはこられないそうだ。私がわかるところまで送ってくれて、あとは帰ったようだ」
 これもまた事実だと小夜は心で呟く。
 おばばは、ほうほうと意味ありげに笑いながら聞いていたが、小夜の足首に布が巻かれているのを見て、「なるほどな」とつぶやいた。

   
 
 
  第1章