蒼穹への扉
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 ハイハイ、と手を振る。
 伊吹はすうと大きく息を一度吸う。
「だから、あの噂の種をまいたのはぼくってこと」
 伊吹が言ったことをすぐには理解できないようで、小夜(さよ)は沈黙する。
 小夜の反応は至極当たり前のものだった。
 おそらくあの話は小夜が生まれるよりもずっと前から村に伝わっていたはずだ。それこそ何十年も前から。
  それなのに、外見は小夜とさほど変わらない自分がその「噂の種をまいた」などと言えば、誰だって理解に苦しみ沈黙するか、冗談だととるに違いない。伊吹だってそれくらいのことは理解している。
 それでも疑いのまなざしを向ける小夜を見て、伊吹は苦笑した。
「ひどいなー……。まるっきり信用していないんだもんなあ」
「――当たり前だ」
 即答されて ぷう、とふくれっつらをするが、伊吹なだけに迫力はまったくない。
「そんなこと言っても、信じろというほうが無理だ。おまえ、大体いくつなんだ?」
 彼女は疑問に思っていたことをそのまま口にする。
「そんなに歳をとっているわけじゃないよ。うーん、小夜よりちょっと長生きかもしれないけど」
 にっこり笑顔で答える。どうとでも取れる無難な答えだが、これが小夜に告げられるぎりぎりのものだった。
「――ふうん……」
 いまいち納得がいかないようすではあったが、ありがたいことに、小夜はそれ以上突っ込んで聞いてくることはなかった。だが、それに代わって別の疑問を伊吹に投げかけてきた。
「じゃ、どうしてそんなことをしたんだ?」
 本当に正直な少女だ。自分が疑問に思ったことはするりと口から出してしまうのだな、と伊吹は思った。そして、そんなふうに自分に接してくれる小夜を好ましく思い始めていたから、今度は嫌な顔もせずに、ふふと笑った。
「だってさ、必要だったんだよ」
「だから、何が必要だったんだ?」
 小夜は伊吹が言おうとしていることがまるでわからないようで、すぐに問い返す。
「ん。単刀直入にあっさりといってしまえば、人をこの森に寄せ付けないためのまじない、かな?」
「――なんでそんなものが必要なんだ?」
森の息吹  ここまで言って、小夜ははっと思い当たったようで、手を口に当てた。
 伊吹はそんな小夜のしぐさをみて、こっくりと小夜の考えを肯定した。
 どうして、この森は昔の太古のままの姿でいられたのか?
 人が――小夜たち人間がこの森を恐れ、近づかなかったからだ。他の森へは人間たちはずんずんと入り込んでいる。そうして、木を切り、動物を狩り、植物を採る。そうしていくうちに、森は昔の姿を失っていく。
 それが悪いことだ、とは言えない。なぜならば、そうしなければ、人間は生きていくことができないからだ。
「ぼくもね、それはもちろんわかっているよ」
 勘違いしないでね、と伊吹は言った。
「だけど……」 
 この森だけは特別だから、と呟く。
 この森だけは――。この自分が守るべきものだけは、昔の、太古の姿のままで残しておかなければならない。人が決して触れることなく、変えられることのないように。
「どうしてだ? どうしてこの森だけ?」
「――そうだね、なんでだろうね」
「神域だから、か?」
「そうかも…しれないね」
 伊吹は笑った。
 小夜もきっとうすうす気づいている。自分が言っていることに矛盾点があることに。だから、腑に落ちない、という顔をしているのだ。
 神域に入ったら二度と出てこられない、それは神の怒りをかうから。でも、それは伊吹が広めた噂。そして神域だからといいながら、伊吹はここに住んでいる。そして小夜自身も来ても神の怒りを買うこともなかったし、無事、村にも帰れた。
 考え込んでいる小夜を見て、伊吹は余計なことを言い過ぎたかな、と苦笑した。そうして、小夜の思考を中断させるべく、立ち上がると部屋の片隅においてある箱の中から小さな木彫りの像を持ってきた。
「小夜、ほら」
 小夜に差し出された像は、目の前にいる真白な動物の姿を模したものだった。
「――私に、か?」
「うん、君のために作ったんだ。もらってくれる?」
 ありがとう、と小夜は木像をぎゅっと抱きしめた。
 伊吹は自分の中に、いままで感じたことがない温かな思いが満ちていくのを感じていた。
 
 
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