蒼穹への扉
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「ここが、リクウェア──か…」
 小屋を飛び出したレイドの足は、自然、リクウェアへと向かった。
 それまでは、さまざまな理由や思惑があって、リクウェアへ立ち入らぬようにしていた。
 だから、レイドにとってこの国を目にするのは初めてのことだ。
 リクシュからそれはそれは美しい国だと聞いていた。紺碧の空を映す大きな湖。輝く緑の森。どれもが優しく人々を包み込む。そこにいるだけで、安らいだ気持ちにあるのだとリクシュはよく言っていた。
 そして今。辺りを一望できる崖の上に立って、眼下に広がる立ち枯れた森を見下ろす。
 ここもかつては限りなく広がっているように見えていたのだろう。でも、今ではすっかりその姿を失っていた。枯れ朽ち果て、ぽっかりと穴が開いたようになっている。
(ひでえ、ここも死の臭いがする──)
 ここが、オレたちが守ろうとしているものの姿なのか──
 心の中が怒りで満ち溢れてくる。
 自分たちが今までこうして見守ってきた多くの大地が、このようにして滅んでいくのを幾度となく見てきている。
 そしてこの森も、滅びの道をたどっているのだ。
 そう仕向けたエビドュが憎かった。
 わかっていて、それを止めないトゥティノが恨めしかった。
 確かにリクシュの言い分もレイドには分かってはいた。今戦うことが自分たちにとってどんなに不利かも。
 リクシュが何を「待ち」、自分たちに何が足りないのかも十分すぎるほど、わかっていたのだ。
 けれど、レイドはリクシュと違って、それを我慢することはできなかった。
(くそっ……)
 己に対しても無性に腹が立った。
「ん?」
 ふと、風が騒いだ。
 はっとなって振り向いたレイドは、驚きのあまり声を失った。
 そこには、トゥティノの姿があったのだ。
「──なぜ、来た?」
 トュティノは悲しみに揺れる瞳でレイドを見つめた。
「早く、森へ戻れ──」
「トュティノ、お前は…」
「早く戻れ。でないと、エビドュが気づく」
 トュティノの声にはまるで生気というものが感じられなくなっていた。ただ、そこで義務的に言葉を発しているだけのように思われた。
 見れば、顔もすっかりとやつれ果て、ただでさえはかなげな灯篭のような印象を与えるのに、目の前の彼は消える寸前の蝋燭の炎のようだった。
(なぜ──なぜ、こんなになるまで……)
「――森へ帰れ。エビドュが気づく前に。そして二度と……ここに来ぬほうがよい」
「何…言ってんだ? お前は一体何考えてんだよ……お前はっ!」
 一気にレイドはまくし立てた。
 自分の心に溜まっていた思いを全てトュティノにぶつけようとした。
(トゥティノ、お前は──)
「──お前は……『善』の心だろっ!」
 レイドの言葉に、それまで凍りついたようなトュティノの表情がわずかに動いた。
「お前がこの地球を滅ぼしてどうすんだっ。お前が人間を――信じないでど─すんだよっ」
「もう──遅いのだ…」
 トュティノは消え入りそうな声で呟いた。
「もう遅いのだよ……。私はもはや『善』の心ではない。もはやエビドュと変わらぬものになってしまった……」
 そう、もう人間を信じられぬ。
 人々に「善」の心はもはや存在しない。
 そして、これ以上、人間たちが存在することも許されぬこと──。
「これ以上人が、大地にのさばっていれば、このほしがもたない──そうではないのか?レイド」
 レイドはぐっと言葉に詰まった。
「おれは──」

──僕は人間たちが大好きだ。今はどうであれ、彼らを見ていると、心が温まる。ルリアを見ているとそう思う。だから僕はね、レイド……──

「──人間を信じている。おれは、人間を信じる」
(──ああ、そうだ…)
 リクシュのいつしか言っていた言葉、自分が今まで忘れかけていた大切な言葉が自然と口をついて出た。
(──そうだな、リクシュ……。おれは大事なことを忘れていた……)
 そしてそれは、トュティノが今、忘れてしまっていることでもある。トュティノがそこに存在している限り、決して忘れてしまっていはいけなかったこと。
 人を信じ、人を慈しみ、見守っていくこと。エビドュと共に……。
「トュティノ──」
 お前はなぜ人間を信じられなくなった、レイドはそう言いかけて、言葉をぐっと呑み込んだ。
 なんだかその疑問を口にしてはいけないような、そんな気持ちに駆られたのだ。
「──私には、私にはもはやどうすることこもできぬ……」
 冴え冴えと夜空に輝く月が放つ光のような、白銀色の髪が風になびく──。
「私には…もう…」
 レイドには次の言葉を紡ぎだすことができなかった。
 目の前にはこの惑星を滅ぼそうと、苦しみの種をまいた張本人がいる。
 それにもかかわらず、レイドには二の句を告げることができなかった──。そして、今やトュティノに対する恨みも憤りもすっかりとレイドは失ってしまっていた。
 ただそこにいいる「自分」を見失った哀れな男を、レイドは身動き一つせず、静かに見つめる。
 そのとき、ざわりと風が騒いだ。優しい風に混じって、邪悪な気配が辺りを包んだ。
 全身の毛が逆立つような悪寒に襲われる。
 妙に息苦しくなり、レイドは知らず胸を押さえる。
(――しまった……)
「――エビドュ……」
 トュティノは背後に現れた自分と瓜二つの、そう自分の半身とも言うべき者の姿の名を呼んだ。たくさんの絶望を宿した瞳を細める。
「わざわざ殺されに来たのか? 愚かな……」
「──…」
 まずい。
 すこぶるまずい。
 レイドは内心あせる。
 己の短慮を後悔するが、もはや遅い。
 そんなレイドの心をまるで読み取ったように、エビドュはくくくと喉で笑う。
「愚かな風の『心』よ。そう、せっかくきたのだから……」
 ザアアと周りの空気が変わる。
 風とは異なる、冷たい空気──気がエビドュの周りを包みこむ。そして──

──すまぬ…──

 レイドの頭にトュティノ詫びの言葉が響いた。
「待てっ! トュティノ!」
 レイドの叫びとともにトュティノは冷気にかき消されるように姿を消した。
「まこと、愚かな。そういったところは相変わらずだな」
 不気味な笑いを満面に湛え、エビドュはレイドを見下ろした。
「一人でやってくるとは、いい度胸をしている。それだけは褒めてやろう。だが、所詮は愚者のすること──」
 クックックとエビドュは愉快そうに笑う。
「この大地を汚し、自分の欲に溺れている人間たちとお前たちも同じだよ。このまま私の力の前に何もできずに、滅びていけばいいのだよ。このまま──」
「黙れ!」
 レイドがエビドュの言葉を遮る。
 レイドは両手を胸の前に持っていくと、気を込め始めた。
 みるみるうちに、両手のひらの間に光球が生まれた。青白い色をしたそれは徐々に大きくなっていく。
(こうなったら…一人でもエビドュを再び封印する)
 己がどう考えても無茶なことをしようとしているのは、どこかでわかっていた。
 それは決してできないのだから。
 力づくでなしえるものではないのだ。
 それに、そんなことができるのなら、今まで自分たちは黙って耐えていることなどする必要は――
(うるせえ、うるせえ、うるせえっ! んなこと、どーだっていい!)
 自分の心の中の声を押しつぶすと、レイドは一直線にエビドュに向かって走り出した。
 そんなレイドの行動にエビドュは冷淡な笑いをもって返した。
「私にそんなもので、立ち向かう気でいるのか。愚かな風の『心』よ──」
 言葉とともに、エビドュの姿は周りの景色にすぅと溶け込んでいった。
 レイドの視界から、彼の姿が消える。
「エビドュ、卑怯だぞ! 出てこい!」
 姿が見えなければ、どうすることもできない。
 激しい苛立ちを感じながら、レイドは大声で叫ぶ。
(くそっ……)
「愚かな――」
 不意に右にある大きな岩のあたりから、エビドュの声が響いてきた。
 さっと、右を向き構えるレイド。
 それをあざ笑うかのようにエビドュはいった。
「所詮、おまえごときに私を捕らえることなどできぬよ」
 今度は全く反対の方向から声が響いてくる。
(だめ…だ………落ち着け……)
 ここで彼の挑発に乗ってしまったら、だめだ――。レイドは己の心を静めようと、一つ大きく息を吸った。
 焦る気持ちを抑え付けながら、レイドは顔を上げてゆっくりとあたりを見渡す。
 しかし、やはりエビドュの姿は見えない。
 だが、先ほどまでとは異なり、異様な気配があたり全体に立ち込めていることに気づいた。
(どこ…だ……)
 ゆっくりとゆっくりと気配を探る。
「そのようなこと…無駄なものを」
「――オレは、おまえを許せねぇ」
 ひとこと、レイドは低い声で呟く。
 このほしを傷つけた。
 この大地を傷つけた。
「この世界で精一杯生きようとしようとしているやつらを、おまえは傷つけた。オレは――おまえのしたことが許せねぇんだ。おまえの……おまえのせいで傷ついて死んでいった者たちの思いが、おまえには……おまえにはわからねぇのかっ!」
 しかし、レイドの心からの叫びはエビドュの心に届くことはなかった。
 彼は馬鹿にしたように、声高らかに笑った。
「おかしなことを。この大地がこのようになったのも、すべては人のせい。私は力を貸しただけ」
「何……」
「私はルリアが欲しいまで。そうだな…ルリアさえ、こちらに渡してくれれば、これ以上大地を傷つけるのはやめよう」
 レイドはきっと空を睨んだ。
「そんなことできるかっ!」
「もし否と言えば、貴様たちの命もこの国の人間の命も、そして貴様たちが住むあの森の命も保証はしない。それだけの力が私にはあるのだよ――ククッ……」
「だまれだまれだまれ──!」
 レイドは怒りをあらわにして、エビドュの言葉を遮った。
一陣の風が猛烈に吹き荒れた。
 頭に血が上りかけていたレイドはそこで、ハッとなった。
(風が…そうだ風だ……)
 神経を研ぎ澄ます。
 あたりを駆けめぐる風。
 もちろんレイドのいる、この崖の上でも風は吹いている。
 エビドュの異様なまでに、暗くもやもやとした気配を抱きながら。
 しかし、ひとところだけ風が進むことを拒まれている場所がある。何者かが風の行く手を阻んでいるのだ。
 何が――?
 聞かずともわかっている。
 その気配は、リクシュたちのように、自然を愛するものの気配とは違っている。邪悪な気配、全てを暗闇に葬ろうとしている闇の心──。
「ここだ──っ!」
 レイドは掌に力を集中させながらその気配目掛けて走った。そして風の鋭い気をいくつもそこに向かって放った。
「くっ──」
 呻き声が響く。それとともにエビドュの姿が霧が晴れるかのように、ゆらりと現れた。
 肩が血で染まっている。その血はみるみるうちに広がっていく。
 レイドはそれを見て知らず、後ずさりをした。
 ぽたり。どす黒いエビドュの血が地に滴り落ちた。
「貴様──!」
 エビドュは切られた右肩に左手を充てた。傷口より流れ出る血が左手をつたう。
 エビドュは自分の流れていく血を見ながら、低くうなるように己に傷を負わせた少年の名を呼んだ。
 それまで、レイドのことを小ばかにしたように笑って見ていた彼の瞳は、いまや怒りで満ちている。どす黒い思いが全身を駆けめぐっているのが感じ取ることができた。
 エビドュのとてつもない怒りを目の当たりにして、自分が今とてつもないことをしてしまったことをレイドは認識する。
「貴様、この私を怒らせて、無事に帰れると思うな! そのように望むのなら、よいだろう。いますぐあの世へ送ってくれてやる!」
 飢えた狼のような目でにらまれたレイドは、背筋が凍りつくような寒けを感じた。
 身体を動かそうと思っても、足がすくんでしまい指先すら動かすことができない。。
 レイドは今初めて、心の底から恐ろしいと感じていた。
「これでしまいだ」
 エビドュの左手からまぶしく輝く光の球が発せられた。それは輝きを増しながら、一直線にレイドのほうへ飛んでくる。
(避けるんだ…レイド、避けるんだ!)
 心のなかのもう一人の自分が必死で叫んでいる。だが、体は言うことをきいてはくれない。
 光の球がせまる。
(もう駄目だ!)
 思わず目を閉じた。
 ああ、おれは死ぬのか!
 レイドは覚悟を決めた。
 光の球はレイドを包み込み、ごうと激しい音をたてて飛び散った。
「うわぁ──っ」
 レイドは自分の体が宙に舞っているのを感じた。そのまま真っ逆様に風に包まれるようにして、崖の下に落ちていく。
(このまま……おれは死ぬのか…。ざまあねえな……)
 薄れゆく意識のなか、レイドはふとリエルの泣き叫ぶ顔が浮かんだ。
(リエル……悪ぃ……)

 

 

 
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