3
城の一室で、王子ハートレイは読んでいた本から視線を外した。そして窓の外に目をやった。
鮮やかな夕焼けが目に映る。いつ見ても、この部屋からの夕焼けは美しい。そんなハートレイの心にふとルリアの顔が浮かんだ。
そうだ、あの少女が生まれたのもこんなふうに美しい夕空の日だった。もうあれから十二年もたってしまったのか。月日の流れを感じずにはいられない。夕陽は変わらない。昨日も今日もそして十二年前も。その美しさは人々の心を、ひととき夢の旅路へと誘う。だが、人は変わる。十二年前自分はまだほんの子供だった。そして、あの子は赤ん坊であった。それが──
〈あんなにおてんばに育ってしまって〉
ハートレイは一人苦笑をした。
と、そのとき背後の窓を叩く音がした。一瞬ハートレイの頭のなかをまさかという予感が駆けめぐった。
「兄様、兄様」
やはり…。
ハートレイはため息をつくと、窓に近寄って開け放ってやった。
「また何かやったんですか?」
ルリアは窓からハートレイの手を借りて、部屋のなかに入った。
ハートレイはそんなルリアの姿を見て、いつも冷静な彼らしくもなく、驚きの余り声を失った。
だが、しばらくして落ち着きを取り戻すと静かに尋ねた。しかし声が震えているのが自分でも分かる。
「変?」
ルリアは短くなった髪の毛を触ってみた。「そんなに切ったわけじゃないのよ」ルリアは屈託ない笑顔でそう付け足した。
「そんなに切ってないっていったって、三十センチは切ったんじゃ…」
「そう?」
当の本人はさほど気にしていないように見える。しかし、腰程まであったルリアの美しい金髪は、いまや肩より少し長い程度の長さとなってしまっていた。
ルリア本人は気にしていないと言えば嘘になる。幼いころからのばしつづけた髪の毛だった。それだけに髪の毛といえども情が移る。周りからも見事だといわれていた金髪だけによけいそうなのであろう。けれどもあの状態では切るしかなかったのだ。
ちりぢりになってしまった髪の毛を切ってくれと、ルリアが申し出たとき長老たちは目を丸くした。確かにその恰好のまま城に帰るわけも行かなかったが、あの美しいルリアの髪の毛を切るには気が引けた。だれもがルリアの髪の毛を切ることを拒んだ。だが、そんな村人たちの様子を見かねたルリアは自分で刃物を手にすると、左手で一掴み髪を握るとばっさりと自分で切ってしまった。唖然とする村人にルリアは刃物を渡すと、笑って「お願い。これじゃぼさぼさ。綺麗に揃えてくれる?」と言ったのだ。残念そうに見守っている村人たちに対して、炎の中に後先考えずに飛び込んでいった自分への神様からの罰だわと、ルリアは笑った。
ハートレイは勿体ないことをと、さも残念そうに呟いたが、さっぱりした顔をしているルリアを見て、それ以上何も言えなくなった。ただ、似合いますよといった。
「私が髪をこう切った時のテキスの顔ったら、呆然としちゃって。兄様にも見せたかったわ」
ルリアは自分の髪の毛を切った時の恰好を再現してみせ、くすくすと笑った。
「そりゃ、テキスでも驚きますよ」
ハートレイは苦笑しながら窓辺に行くと、ルリアの入ってきた窓を閉めた。少し風が強くなってきたようだ。
「随分と無茶をしたそうですね」
「そうかしら」
「テキスから全部聞きましたよ。王女がとんでもないことをしでかしたとね」
「とんでもないこと?」
わたしは、悪いことはしてないわ、とルリアは少し不満げに言う。
「テキスったらぜ─んぶ兄様に言っちゃうのね」
はははとハートレイは笑ってから、おてんばな妹に向かって声を潜めた。
「さあ、早く着替えることですね。そんな恰好でいつまでもいたら母上に大目玉をくらうよ」
「母様よりどっちかっていうとスエレナの方が怖いわ」
「──ごもっとも」
ハートレイは笑うと、テ─ブルの上にあったクッキーの入った袋を、部屋を出ていこうとするルリアに投げ渡した。
「おきっぱなしでしたよ」
「──ありがと、兄様」
ルリアはハートレイに礼をいうと、そっと部屋を出た。
〈全くあの子は無邪気だな……〉
ハートレイは妹の後ろ姿をいとおしそうに見送った。
「ルリア様!」
あともう少しで自分の部屋に行き着くというときであった。背後から侍女のスエレナの驚愕の声が飛んできた。
「ど、どうしたんです!その髪の毛は!」
驚きの余りにか、声が裏返っている。
ルリアはきょとんとしたように答えた。
「どうしたって、切っただけよ」
「もう、ルリア様は…」
そこでスエレナは自分がしなくてはならないことを思い出したらしい。そのすきに逃げようとしていたルリアは、スエレナに襟首をつかまれた。
「ごめんなさいっ」
首を亀の子のように引っ込ませたルリアの仕草に、スエレナは思わずぷっと吹き出してしまったが、慌てて真顔に戻るとルリアを睨み付けた。
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