そんなリクシュの顔を見て、ルリアは言葉を失った。
そうだ、辛い思いをしているのは何も自分だけではない。見れば、リエルたちも俯いてしまっている。
(辛い気持ちはみんな…同じ……)
自分のことにしか気持ちが向かなかった己に恥じ、ルリアは下を向く。スッと隣に来たクイントが、ぽん、と軽くルリアの頭を叩いた。まるで「気にするな」とでも言うかのように。
ほろりと不覚にも涙がこぼれそうになった。それをかろうじて堪え、ルリアはしっかと顔を上げた。
「――……」
リクシュは何かを考えているようだった。
じっと空を仰ぎ、そうして、やがて意を決したようにトュティノと向き合う。
いつも大切に持っている笛を手にした。先ほどと同じような不思議な言葉を小さくささやくと、笛は見事な剣へと姿を変えた。
(とめ…られない……)
リクシュは剣の柄をしっかりと握り締めると、トュティノに向かって走り出した。
「やめて!」と叫びたい気持ちをルリアはぐっと押さえ込んだ。叫ぶのは簡単だ。だが、そうすることで何かが解決するわけではなくことを、ルリアはようやく理解した。
何かが違っている。そしてまた、そうわかっていても、ではどうすればいいのかルリアにはわからなかった。
自分たちがこのまま引くことはありえない。
トュティノもまた、引くことは決してありえない。
そして、引き分け、ということもありえない。
両者の剣が激しい音を立てて交わった。
お互いの未来をかけて……。
4
(負け…られない…。私は絶対に負けるわけにはいかない!)
トュテイノは何度も心の中で叫んだ。だがその一方で、己が勝ってしまえば、もはやエビドュを止めることができる者がいなくなってしまうことも十分すぎるほどわかっていた。
(私は……何を望んでいる…?)
負ケラレナイ
デモ、私ハ……
負けてエビドュと己を封印させこのほしを救うか、それとも勝ってこのほしを滅ぼすか…。
ルリアの笑顔、泣き顔――怒って、笑って、泣いて…人はなぜこんなにも自分の心を身体いっぱいに表現するのだろう…。
だが、そんな彼らに惹かれる。
彼らを見ていると心を押し込めている自分はいったい何なのだろうと考えたくなる。
閉じられた空間。
そこで精一杯生きている人間たちをみているのが大好きだった。隣ではエビドュが無表情でそれをみている。しかし、ほんの時々見せる微かな笑いがトュティノの心の救いだった。
人は互いに傷つけあいながら、生きていく――しかし、それを人は受け止め、たくましく生きている。
ああ…私は――
(私は……このほしが…ひとが滅びる結末なんて望んでは…いない!)
ガラリ、とトュティノの心の中で崩れる音がした。
扉が開き、柔らかな光が注ぎ込んでくるような感覚に包まれる。
――我を裏切るか…。おまえまでも……我を……――
ぐっとトュティノの心を引っ張る闇の気配――。
(エビ……ドュ……)
その顔が一瞬、苦悩に喘ぐ。
「ぐわ――っ!」
地を響かせるような、恐ろしく、そして奈落の底に落ちてゆくような声を出し、トュティノは自分の心を打ち消そうとしていた。
(私は…私はっ!)
自分の心をもみ消すように、再び奇声を発して、リクシュに向かっていく。
力の限りリクシュに向かって剣を振り下ろす。
それを、歯を食いしばり必死に受け止めるリクシュ。
いつもルリアのそばで穏やかに笑っていた少年の顔からは、いまは笑みが消えている。笑みを消してしまった原因は自分……。
そしてまた、もし少年を傷つければ、ルリアを悲しみのどん底に落とすことになる。もう二度と彼女が自分に笑顔を向けてくれることはなくなるだろう。
彼女の大切な人――。
彼女は自分とリクシュが戦うことを望んではいない。かといって、自分とエビドュを封じることにも少なからず抵抗しているように見えた。
彼女は優しい。
優しすぎるのだ。
だからこそ、自分はこんなにも心が…痛む。
苦シイ……
「トュ…ティノ……」
驚いたようにリクシュが目を見開いた。
彼の驚愕の様子を見て、トュティノは初めて己が涙を流していることを知った。
戸惑いの表情を浮かべたリクシュの力が一瞬緩む。
「うわあああーっ」
すべての思いを振り切るかのように、トュティノはさらに力を込めて、剣を振り下ろす。涙を…流しながら――。
不意をつかれたリクシュは、それでも見事に剣を受けとめた。だが、じりじりと追い詰められていく。
それは彼とトュティノとの体格の差が歴然としていたがためでもあり、また、トュティノの涙に少なからず動揺しているせいもあっただろう。
少しずつ、少しずつ後退している間に、リクシュは崖の間際まで追い詰められていっていた。もう後は――ない。
これ以上、一歩も後ろには退けない。
みな、息を呑んだ。
「――これで…終いだ…」
トュティノが大きく剣を振りかざした。
正視できなく、フェリィは思わず顔を両手で覆う。サナはフェリィの傍らで、彼女のスカートをぎゅっと握る。レイドとリエルはほぼ同時に、リクシュの名を呼んだ。クイントは目を大きく見開く。
リクシュ自身も、最期を予感し思わず目を閉じた。
が、いつまでたっても剣で切り裂かれたような鋭い痛みは襲ってこない。
恐る恐る双眸を開く。
「あっ……」
リクシュは絶句した。
目の前にはルリアがリクシュをかばうように両手を広げて立っていた。その左肩は血で染まり、鮮血が滴り落ちていた。
トュティノは唖然としてルリアを見つめている。
「ル…リ…ア……」
「もう…やめて…」
「――決着はつけなくてはならない……」
「――そうしなければ何も解決はしない…? でも…戦って…何が残るの? 相手を力でねじ伏せて…それでこのほしが守れる…わけがない…」
ぐらりと少女の体が揺らぐ。
ゆっくりと地に臥していく彼女の身体を、駆け寄ったトュティノが支える。
ルリアはわずかにまぶたを開く。目の前にトュティノの姿を見つけて、微かに笑んだ。
力を振り絞って腕を伸ばし、トュティノの頬に流れ続ける涙をぬぐってやる。
「もう…これ以上自分を…不幸に…しな…い……」
腕から力が抜け、そのまま力なく落ちた。愛らしい瞳もゆっくりと閉じられる。
「ルリア!」
トュティノは気を失ってしまった少女の細い身体を、力いっぱい抱きしめた。
頭の中が真っ白だった。
自分が何をしてしまったのかもわからず、トュティノはただただ、少女の身体を抱きしめた。
その傍らで、ゆらりとリクシュが立ち上がる。
動かぬ少女を見、ぎゅっとこぶしを握り締めた。
わかっていたはずだ。少女がこういう行動に出ることになるということを。
黙って傍らでことの成り行きを見ていられるほど、彼女はおとなしくはない。彼女はきっと自分が思うままに動くだろう。
その結果、どうなるのか、ということなど彼女は考えはしない。ただ、大切なものを守るために、自分の願いをかなえるために少女は動く。
――クイントのときだって、彼女はそうしたのに。
しかし、深い後悔に襲われながらも、リクシュは次に己がすべきことを定めた。
ルリアとトュティノに背を向ける。そうして、肩越しに二人を振り返り見た。
「――頼みます。ルリアを」
言い残し、リクシュは先ほどと同じような言葉を静かに唱える。
「リクシュ!」
彼が何をしようとしているのかを察知したレイドが駆け寄った。が、リクシュの肩を掴もうとしたレイドの手は空しく空を切った。
「リクシュ!」
すぅと、空気に溶け込むように消えていくリクシュ。
わずかにレイドを見て、小さくうなずいたように見えたが、すぐにリクシュの姿は完全に見えなくなってしまった。
「くそっ!」
レイドは悔しそうに地を踏む。
「――どういう…ことだ?」
何が起こったのかわからぬ、という顔をしたクイントが隣りのフェリィに訊ねた。
彼女は花のような可憐な顔を、悲しみで歪ませた。
「――ひとりで…エビドュのもとに…行ったんだと…思います」
答えを聞いて、クイントは大きく瞳を見開く。
「ひとりで行ってどうする気だ?」
「ひとりで…彼と話をつけに……」
「――バカな……」
そんなことが可能なわけがない。
話を聞くような相手なら、このような事態になどなる前に、別の道に歩むことができていたはずだ。
「それでも…リクシュは……ルリアの願いを叶えるために行ったんですわ」
ひゅう、と悲しげな風が駆け抜けていく。
――戦って何が残るの…?――
「何も残らねぇんだ…よな…」
レイドはぽつりといった。
「残るものは…悲しみ、後悔、そして虚しさ…戦いに勝ったって残るものは同じ…」
リエルはルリアのそばに行くと、肩ひざをついた。そうして、ルリアの血がしみ込んだ土を、大切な宝物を扱うかのように丁寧にすくい取った。
指の間から砂のように流れ落ちていく土は、リエルの手によって静かに静かに浄化されていった。
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