一行はある扉の前で立ち止まった。
錆付いた頑丈な扉。その向こうにはかつてルリアがいた。部屋の中に閉じ込められ、国が荒れていくようすを、深い悲しみと強い怒りで見つめていることしかできなかった……。
「――」
無言でみなが頷く。
それを見届け、ルリアは扉に手を掛けた。直後、扉がばたんと大音響を立てて、勝手に開いた。
「トュティノ…」
中にはトュティノがルリア達を待っていたように、扉に向かって立っていた。
相変わらず、思わず見とれてしまうほどの美しい容貌。だが、誰の目にも、彼が心底疲れた果てているように映っていた。
「来ると思っていた――必ず来ると…」
「トュティノ…」
トュティノはルリアの顔を見て悲しげに笑んだ。
「私は――」
「すまないが、おまえを封じさせてもらう」
トュティノを前にし、怒りを抑えきれなくなったレイドが、前へ進み出た。そんなレイドをルリアが引き止め、代わって自分が前へ出た。ルリア、とリクシュがルリアの肩に手をかける。ルリアは振り向くと、少しだけ待って、とだけ言った。
ルリアはトュティノの前に行くと、彼の瞳を見つめた。悲しみにゆれる優しい瞳を。本心では争うことを決して望んでいない彼の心――。
「――お願い。もうやめて。もう十分でしょう? ――以前のように眠って……。私はあなたを無理やり封じたくはないの」
無駄だ、とレイドが小さく口の中で言った。どんなことを言っても、もうどうにもならない。トュティノたちは決してルリアたちの言うことを聞き入れることはないだろうし、またルリアたちも当然のことながら、彼らの言いなりになるつもりはない。
それが可能ならば、とっくの前にどうにかなっていただろうから。
だが、ルリアは続けた。
「お願い。でないと、わたしはあなたを強制的に封じなくてはならなくなってしまう。だから、自分から眠りについて。エビドュと共にもう一度眠って」
トュティノ自身が、かつてルリアに語ったように、もうエビドュを止めることは不可能に近い。本来、人の世に出てくることがあってはならぬ二人を、もとの世界へ戻す方法は二つ。
一つは自らもとの世界へ戻ってもらうこと。つまり、眠りにつくこと。もう一つは無理やり彼らを封じること。
本来、現状のルリアにはそれはとても難しいことだ。だが、クイントを探し当てることで、それは現実的な話へと一気になっていたのだ。
だから、今のルリアにはそれはさほど難しいことではない。クイントが、いまだ本来の力に目覚めていないルリアを助けてくれる。
だが、ルリアには封じたくない、という思いが強いのだ。トュティノの本心を聞いてしまっているから。彼らがなぜこのような行動に出たのか、その理由を知ってしまったから。
自分たち「ひと」のせいで、起こってしまったこの惨劇。彼らも被害者に過ぎない。
けれど、彼らがしてきたこともまた、許されるべきものではない。
(だけど、彼らを力で封じてしまうことがいいことなの?)
迷い――。
ルリアはここにきてまだ迷っている。本当は。
リクシュにはあんなふうに強気なことを言ったけれど。力で押さえつけることに抵抗を感じている。
彼らは確かにしてはならぬことをした。しかし、そんな彼らを自分たちが罰する資格はない。そして、「ひと」にもその資格はない。かといって、彼らは償わなければならない、と主張することもできない。
誰に対して償う?
「ひと」?
――いや、それも違うだろう。
(どうしたら……)
ルリアはきゅっとくちびると強くかみ締めた。
――まだ、そのような甘いこと言うか――
不意に、部屋の中に低く、怒りに満ちた声が響き渡った。誰もが、その声の主を瞬間悟る。
リクシュがさっとルリアを背中に庇い、一同はそれぞれ手にしていた武器を構える。それと同時に強い光の球がトュティノの傍らに現れた。光は急速に大きく膨らみ、次の瞬間ルリアたちに向かってき、風のようにルリアの横を通り過ぎ、ぱんとはじけた。直後、鋭い痛みがルリアの左腕を走った。
「ルリア!」
リクシュは剣を構えたままルリアの名を叫ぶ。
「大丈夫よ」
フェリィはスカートの裾を破くと、ルリアの傷を受けた左腕にさっと巻きつけた。
「ありがとう」
「いいえ。それより……」
フェリィは前方に目をやり、小さく息をついた。
「逃げられましたわね」
「――やられたな」
ルリア以外の者たちは、とっさに身をかわし、たいした傷を受けることもなかったようだった。
しかし、そのすきにエビドュはもちろんのこと、トュティノも姿を消してしまっていた。
レイドは悔しそうに舌を打ち、わずかに開く窓を乱暴にこじ開けた。すっと目を閉じ神経を集中させる。
「エビドュの気配はなくなったな」
クイントがリクシュに小声で言う。
「トュティノの気配だけは残っているが、この城にはない」
「むこうの方から気配がする――」
レイドの研ぎ澄まされた神経は、風の気配を読む。
彼が指さした方は、以前レイドがこの国へ自棄になって来た折、トュティノ、そしてエビドュと遭遇して散々な目に合った場所だ。
「行こう」
リクシュは皆を部屋の中央に集めると、ルリアとクイントを中心として輪を作った。そうして、耳慣れない言葉、まるで歌でも歌うかのようなリズムの言葉を静かに唱える。彼の言葉に覆いかぶさるように、リエルたちも同様の言葉を唱えた。美しい歌のように、低く、高く彼らの言葉は重なり合い響く。
すると、ルリアのペンダントがそれに呼応するかのように強い光を放ちだした。
(なに…!)
光は一層輝きを増し、眩しさのあまりルリアが閉じた目を再び開いたとき、彼女はレイドが指差していた崖に上に来ていることを悟った。彼方にはつい先ほどまでいた城が見えた。
ひゅうと刃のような殺気を含んだ風が吹いた。
ルリアが振り返ると、そこにはトュティノが一人立っていた。
「――トュティノ」
「私は、ここから見るこの国が嫌いではない」
トュティノは目を細めると、空を仰いだ。
「しかし、ここから見る今のこの荒涼とした景色は好きではない」
だが――とトュティノは言葉を止める。そして、暫く眼下に広がる荒涼とした景色に黙って心を流離わせていた。
城は今頃、民によって鎮圧されていることだろう。己の術で生み出した幻の兵士たちもすでに姿を消している。抑圧から逃れるために、トュティノの側に降った者たちも、民たちに捕らわれているに違いない。
大きな歓声がこの崖まで風に乗って聞こえてきていた。喜の歓声だ。自分たちの手で自分たちの国を取り戻した――人々は解放された城で大きな声をあげる……。
もはや勝敗は決した。
トュティノたちは敗れたのだ。
自分たちの企てはここで終止符を打たれるのだ。そのことに、内心、安堵の息をつきながらも、複雑な心境でトュティノは次の言葉を紡がなくてはならなかった。。
「私はエビドュを不幸なまま、共に眠りにつく訳にはいかないのだ」
腰に下げていた剣をすらっと引き抜く。
そう、彼はここで止まるわけにはいかないのだ。何があっても。たとえ、敗北したのだとわかっていたも。彼にはもう、進むしか道がないのだから。
エビドュを止めることは、もう誰にもできないのだ……。
「リクシュ、剣を抜け――決着をつけよう」
「リクシュッ」
ルリアがリクシュを止めようとしたが、その言葉を振り切り、リクシュは前に出た。
「リクシュッ!やめてっ」
「――ルリア…トュティノを――エビドュを今のままにしておくことはできない。分かってほしい――ルリア…」
リクシュの深い声が静かに発せられた。
「もう、このほしがもたないんだ――」
ルリアはその言葉にハッとなる。
――自分の頭の中からそのことが抜け落ちていたことに気づいたのだ。
そうだ…。これはルリアたちだけの問題ではない。そしてまたリクウェアだけの問題でもないのだ。
リクウェアの外の世界で起こっていた大きな戦。それにより、人はただでさえ生きていくことが難しくなっている。このリクウェアはその中でも奇跡的に残ることができた「緑の楽園」だったではないか。最後の楽園がなくなれば、人はどうなる?
いや、すでに楽園は消えてしまっているに等しい。ここにあるのは外の世界となんら変わりのない荒廃した大地なのだから。これ以上、エビドュたちの好きにさせては、人は滅びるしかなくなる。
ルリアは黙るしかなかった。今は、トュティノを封印しなければいけない。そうしなければこのほしは滅びの通をたどるしかなくなる。
けれど――。
「それしか方法はないんだ」
そう、それしか方法はない。彼らを封印しないかぎり、この大地も空も水も救えない。それしか方法がない!
重い絶望にも似た思いがルリアの体を駆けめぐる。
トュティノの悲しげな瞳、憂いを含んだ笑みが脳裏にちらつく。
(できない。わたしにはできない…)
悲しみに濡れていたトュティノの横顔…。苦しみに満ちたトュティノの心…。そして「ひと」のために苦しみつづけているエビドュ――。
――帰るがいい……森へ――
あのとき自分を庇ってくれたトュティノの温もりが、ルリアの心に蘇ってきた。
「でき…ない……わたしにはできない!」
「ルリア…」
「トュティノはわたしを助けようとしてくれた。そんな人をわたしの手で封印なんてできないっ!」
「――…」
「だったら、ルリアは、このほしが――『ひと』が滅びていくのをここで黙って見ていられるのか?」
レイドの厳しい言葉がルリアの心に深く突き刺さった。
「お前一人で、何もかも失ってここで生きていくか?」
「――…」
「おれはごめんだ」
ルリアは返す言葉もなく、リクシュの悲しげな横顔を見つめた。リクシュはルリアの思いを感じ、悲しみに顔を歪ませている。
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