蒼穹への扉
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 リクシュは笛を吹くのを止めると、椅子から立ち上がった。そして静かに膝を床に付き、ルリアの目線に高さを合わせた。
「僕たちにできることはある?」
 優しいリクシュの声がルリアの心を包んだ。いつも傍らにあるやさしい笑顔。つらいときも悲しいときも、彼は隣にいてくれる。
 彼はルリアが自分で立ち上がるまで待っていてくれる。自分で答えを出すまで。
 ほろりとルリアの目から大粒の涙が零れた。
 ルリアはバッとリクシュの首に飛びつくと、声をあげて泣いた。
 もう泣かないと心に決めたはずなのに。なぜこうも自分の涙腺はゆるいのだろう。
 けれど、先ほどまでとは明らかに異なる理由で流れる涙。
 リクシュの手がそっとルリアの背中を撫でる。大切な宝物を扱うかのように、やさしく、やさしく。


「――ありがとう、リクシュ」
 ルリアは頬を擦った。
 思い切り泣いた――だから、もう……。
「もう、大丈夫」
 自分自身に言い聞かせるようにルリアは強く言った。新緑を思わせる瞳は真っ直ぐとリクシュの瞳を見つめる。
「私は、私ができることをするわ」
 心の弱さと強さというものは紙一重だと、リクシュは思った。わずか十二の少女の瞳はそれを物語っている。そして、涙は弱さを強さに変えることもできるものだと、そう感じた。
「――リクシュ、手伝ってくれる? 彼らを助けるために」
「もちろん。そのために僕らはここにいるんだから」
 リクシュはうれしそうに頷いた。
 ルリアは何でも一人で背負いがちだ。それは、「王女」という立場がなさしめるのだろうが、リクシュたちにとってみれば、とてもさびしいことだった。
 ルリアが一人で苦しめば苦しむほど、リクシュたちは悲しみを覚える。なぜ彼女は一人で悩んでいるのだろう。なぜ彼女は自分たちに助けを求めてくれないのだろ。なぜ――?
 迷惑をかけたくないから、といつしかルリアは言った。自分でできることは自分でしなくてはならないのだと。
 彼女は強い。とても。だからこそ、そうしてなんでも一人で背負ってしまうのだ。
 そんな彼女が決めたことを、リクシュは否定できない。彼女の意思を尊重したかったから。ただ、彼女が自分の助けを必要としてくれるときがきたら、そのときはすぐにでも手を差し出すことができるようにしていたい。
 レイドは「甘いなあ」と笑うが、これはリクシュの意思。長い間ずっとずっと彼女を見守ってきて、そしてこれからもずっと長いときをともに歩んでいく彼女に、自分ができることだと思っている。
「――リクシュ……私、諦めたわけじゃないよ」
 何を、とは聞かなかった。
 彼女は先ほど「彼らを助ける」と言った。その「彼ら」とは誰を指すのか。
 兄のハートレイ王子や両親のことであれば、ルリアは「彼ら」とは言わないだろう。
 ――となれば、彼女が「彼ら」という者は絞られる。
 そう、彼女はトュティノとエビドュたちのことを言っているのだろう。
 だが、リクシュたちは、ルリアから彼女がリクウェアにいる間に何を知り、何を感じたのかまだ聞いていない。
 彼女を助けに行ったとき、彼女はトュティノとともにいた。トュティノと剣を交え、彼らからルリアを救い出そうとした際、彼女は必死でそれを止めようとした。「私を助けようとしてくれた」とさえ、彼女は言った。
 いったい、彼らの間に何があったのか。
「何があったのか、きちんと話してくれるね?」
 ルリアが「助けたい」と言った彼ら。
 トュティノやエビドュのことを、もともと知っているリクシュたちには、ルリアの意見に反対する理由はない。むしろ、彼らがこのようになってしまったことに、深く心を痛めていたのだから。
 だが、ルリアは違ったはずだ。
 彼女にとって、トュティノたちは、祖国をめちゃくちゃにした犯人だ。そんな彼らを救いたいと思うに至ったのには、何か大きな理由があるはずだ。
 ――何があった?
 ルリアはリクシュの問いに、一瞬ためらいを見せたが、小さくうなずいた。
 リクシュはいすにかけてあったショールをルリアの肩にかけてやる。ルリアはリクシュの手を借りて、ベッドからトンと下りた。
 握ったルリアの手が小さく震えていることに気づき、リクシュはぎゅっと手を包み込んだ。そうして、やわらかく微笑む。
 ルリアはゆっくりと顔を上げると、安心したような笑顔を返した。
 二人はみながいる居間へと入った。
 リクシュたちがやってくると、まず最初にリエルが気づき、ルリアに「大丈夫かい?」と尋ねた。
 ルリアは小さくうなずくと、クイントが用意してくれた椅子へと腰を下ろす。
「無理…しなくていいよ…?」
「ううん。私が知ったこと、言わないと。それが私の役目だから」
 みなに心配をかけてまで、行ったのだから。
 ルリアは顔を上げると、リクウェアで知ったトュティノとエビドュの話を聞かせた。
 エビドュが人を滅ぼそうとしている理由。
 トュティノがそれに黙って従っている理由。
 リクシュたちは黙ってルリアの話を聞いていた。
 何度か途中で涙がこみ上げてきたが、それを押さえこみ、ルリアは最後まで話し終えた。
「――私たちはどうすればいいんでしょう……」
 ルリアの話を聞き終えた後、一番最初に言葉を発したのはフェリィだった。
 とても悲しげな瞳でフェリィは、みなを見回した。
「――理由はどうあれ、俺は……」
 クイントはひと呼吸おいてから、言い切る。
「俺は――あいつらを許すことはできないし、あいつらがしたことは、許されることじゃない」
「そう……だね」
 リエルが賛同の意を示す。
「でも、でも…私は…救いたい。彼らを。このまま、彼らを無理に封じ込めても、きっと何も変わらない。彼らの心は救われないし、私たちの心も……きっと」
「――ルリアはどうしたいの?」
「最後まで、あきらめたくないの。彼らを無理に封じるんじゃなくて……」
「彼らが自分たちから眠りについてくれるかね…」
「――時間がない……」
 眉間にしわを寄せ、クイントは低くつぶやいた。
「ルリア、もう時間がない。次の満月だ」
「え?」
「――……」
 リエルはリクシュをちらりと見やる。リクシュは小さく首を横に振った。
「どういう……こと?」
「次の満月には」
「――クイント」
 先を続けようとしたクイントの言葉を、リクシュが遮って止めた。
「なぜ止める」
「――まだぼくらは動くって決めていない」
「動かないつもりなのか? それが何を意味しているのか、リクシュはわかっているのか?」
 ガタンと立ち上がり珍しく声を荒げるクイントを、隣りに座っていたレイドが静止した。
「落ち着けよ」
「落ち着いてられるか!」
「――怒鳴ったところで、何も進まんと思うけどね」
 大きく息をついて、クイントはどかっと椅子に腰を下ろした。
「何が…あるの? 次の満月に」
「――その前に君に聞きたい」
 リクシュはまじめな表情で、ルリアに問うた。
「君は彼らと戦う覚悟はある? ムリに封印したくないという気持ちが強いのはわかる。でも、どうしようもなくなったとき、彼らと剣を交える覚悟はある?」
「――……」
「ないのであれば、ルリアにこの話は聞かせられない。――君が知らないところで、僕らは行動を起こすかもしれない」
 いつものリクシュからは考えられないほど冷たく、厳しい言葉だった。
 ルリアは息を呑み、彼の言葉を聞いた。
(覚悟――。私にそれがある…?)
 自分に問うてみる。
 ルリアが出した結論は、「彼らを救いたい」。そのためには決して諦めない。
 けれど、どんなに強く心で願っていても、叶わないことはある。もし、彼らを諭すことができず、対峙することになったとき、ルリアには彼らを封じることができるだろうか……。
 正直、わからなかった。
 そこまで、自分は強く心を持つことができないような気がした。彼らの本当の心を知ってしまった今は。
 だが、このまま覚悟もできずにいれば、リクシュたちはルリアをここにおいたまま、行動を起こすだろう。そうせざるをえない状況なのだから。
 このまま何もできなかった、ということだけは避けたかった。今は自分ができることを精一杯するだけ。そうしなければ、何も始まらないし、何も変えることはできない。
 ルリアは自分の心を素直に話した。
 今の自分に覚悟はできない。だが、できることを今はしておきたいと。わがままかもしれないルリアの言葉に、リクシュはふわりと笑った。
 「――わかっているなら大丈夫だよ」と。そうして、仲間たちに告げた。
「僕らも動こう」
 そのために、とリクシュは「満月の夜」のことについて、ルリアに説明を始めた。
 それは、とても驚きべき内容だった。
 なんと、リクウェアで隠れて生きていた人々が決起しようと、もうずいぶん前から準備を進めていたらしい。クイントがここに来る前からだった、というから、相当前からだ。
 中心人物はテキス――。
 彼は率先して、散らばった同志たちのを集め、武器を手にしたことがない人々に扱い方を教えたと言う。
 彼の名を聞いて、ルリアの心臓は大きく飛び跳ねた。
 まだ無事でいてくれている、ということがうれしく、それと同時にこんな形で彼の名を聞くことになったことが、少しばかり悲しかった。
 彼は剣の腕は一流だ。だが、国内でも屈指と言われるその腕はあまり人前で披露されることはなかった。
 乞われれば試合にも出るし、そもそもテキスの家系は代々近衛騎士団長を務めている。ゆえに、剣の腕が実戦で使われることも多々あった。
 だが、彼は剣をあまり好まなかった。いや、正確に言えば、「剣」ではなく、「武器」を、だ。
 彼自身はリクウェアの者だ。だが、父親の仕事柄、自然と流入者たちとの接点も多くなっていた。知りたくなくとも、外の世界の話は耳に入ってくる。
 何より、スエレナと知り合ってからは、彼女から多くのことを学んだ。
 なぜ流入者たちがリクウェアに来ているのか。外の世界では何が起こっているのか。
 最愛の家族をなくし、友をなくし、恋人をなくし……故郷をなくし――。
「国を守るため、なんて言って俺は剣を手にしているけどなー。これもしょせんはただの武器だしな……。一歩間違えりゃ、大切な人をこれで傷つけちまうんだよな、きっと」
 いつしかテキスがつぶやいていたことを思い出す。
 この言葉を聞いたとき、ルリアはまだ何も知らないときだった。だから、彼がなぜそのようなことを言うのか、まったくわからなかった。
 けれど、今ならわかる。
 必要がないのであれば、決して手にすることなどない武器。テキスのような家系でなければ、触れることもなく、一生を終えるのが普通。そんな国だったのだ、リクウェアは。
 それなのに……。
 武器とは無縁であった人々に、剣の扱いを教えなければならないのだ。どんなにか辛いことであっただろう。

 

 

 
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