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(懐かしい……香り…)
ここは――どこ?
ルリアはゆっくりと双眸を開いた。
柔らかな光があたりにはあふれていた。
(私…いつの間に眠ったのかしら)
自分から寝床に入った記憶はなかった。昨晩は――……。
身体を起こしながら、ルリアは思い返す。そして、完全に起き上がる前に、昨晩起こったできごとを思い出し、ハッとなった。
バッとベッドからおりると、窓辺へ駆け寄った。
荒れ果て、枯れ木とが墓標のように立ち尽くしている森。昔の半分ほどに減ってしまい、濁った水だけが残っている湖…ほとりの村…。
「――…」
両手で口を押さえた。涙がぽろぽろとこぼれてくる。
懐かしい風景…。
まさにルリアの愛した国の変わり果てた姿がそこにはあった。
そして、いま自分がいるのはセヌエフが攻めいってきたときに、閉じ込められた北の塔の一室であろうことは、窓から見た風景からわかった。
だが、この変わりようは何ということだろうか。確かにセヌエフが占領してからのこの国の変わりようは、凄まじいものであった。しかし、今ルリアが目にした光景は想像をはるかに超えるものであり、そして悲しいものだった。
――カチャッ――
背後で扉が開けられる音がした。ルリアが振り向くとそこにはトュティノが立っている。
「お目覚め、か…」
「――…」
彼の顔を見るたびに、以前よりさらにやつれたような印象を受けてしまうのはなぜだろう。そして、瞳には悲しみが全身から迸り出ているように思えてしまうのは。
振り向いたルリアの目に、涙がうっすらと溜まっているのを目にしたトュティノは思わず目をそらした。ルリアは彼の態度を見て、慌てて頬を擦った。
そしてひと呼吸おくと、まずは「王女」として彼に尋ねるべき言葉を投げかけた。
「約束は守ってもらえるんでしょうね」
「――違えることはしない。私は、な」
含みを持たせた返答に、ルリアはキッとなった。
「それでは約束が違うわっ。『あなた』は、ではなく、セヌエフもエビドュもよ」
「――では、善処する、と答えておくことにする。そうしたいのは山々だが、いまの私にはそこまで力がない。すまない」
頭を下げる彼の姿はひどく小さく見えた。
そんな彼を追及する言葉はそれ以上は何もなく、ルリアは小さく息をついた。ベッドに腰掛けると、続いて今度は一人の「娘」として、静かにたずねた。
「父と母は?」
ここを去ってからのルリアの心に、いつもあった家族の安否。そして、家族のように親しかった人々の――無事。
テキスとは脱出した後に村で会っていたし、少なくともクイントが村を離れるまでは無事でいることが確認できていた。しかし、城で一緒に脱出することを拒んだ父や母は? そして自分を逃がすためにトゥティノたちに立ち向かって行った兄ハートレイとスエレナは?
「―――」
トュティノは何も言わない。
ルリアは身を乗り出すようにして、もう一度尋ねた。
「父と母はどこにいるの?」
トュティノはルリアのそばから離れると、窓際へと近づき、外の景色へと視線を移した。
「――今は言えない」
「なぜ?」
「――…」
トュティノはじっと外を見ている。
「今は言えない。私を信じてほしい、としかいいようがない」
深く沈んだ声。だが、そこにときおり感じる強い彼の心。
(何を――……恐れているの?)
一緒にくればこれ以上の害は与えないと言い放ち、ついてくれば「私」は約束は守る、と限定的なことを言う。家族の安否を尋ねれば、言えないと答える――。「教えない」のではなく、「言えない」――。
(何が彼を追い詰めているの……?)
彼の心を強く束縛しているものの存在を、ルリアは初めてここで感じた。そして、次の瞬間、絡み合っていた糸がすべて解けたような気がした。
(エビ…ドュ……)
「善」のこころトュティノ、彼と対を成す存在「悪」のこころエビドュ。お互いがいて初めて1つの存在となる二人。
もしかしたら…。
「エビドュは……」
「――……」
トュティノは悲しそうに微笑むと、窓を全開にした。
風がスッと部屋のなかへ入ってきた。森のなかでのあのレイドのまわりにあった風のように、優しく温かな心を感じこそしなかったが、それでもルリアにとってこの塔で受ける久しぶりの懐かしい風であった。
「エビドュに会わせて」
「――いまは無理だ」
「どうして?」
トュティノは困ったように顔を伏せた。
「彼は……いまは姿を見せることができないからだ」
「どういう…こと?」
「――教えることはできない」
そんな、とルリアは食い下がろうとした。自分がここに来たのは、もちろんこれ以上リクウェアもあの聖域についても、被害を大きくしたくはない、というのが大きな理由ではあったが、ほかにも、エビドュにあって話しをしたい、というのがあった。
だが、こうしてエビドュにあえない、といわれてしまっては、自分が危険をおかして、しかもリクシュの制止を押し切ってまでリクウェアに戻ってきた意味がなくなってしまう。
しかし、トュティノの瞳を見て、やはりこれ以上彼を問い詰めることは難しいとルリアは悟った。
城にいる以上、いずれエビドュと会う機会はあるはずだ。そのときにこそ確かめなくては。彼の本心を。もうこれ以上無駄な争いを避けるためにも。
「わかったわ。いまは諦めるわ」
(知りたかったことのひとつはわかったのだし)
少なくとも父も母も生きている、ということだけはわかった。トゥティノに二人の所在を訊ねたとき、「言えない」と彼は言った。二人が生きていなければ、そのような答えは出てこないはずだ。
(きっと兄さまたちも大丈夫よ…きっと)
信じなければ。
ルリアは何度も何度も心の中で繰り返した。不思議なことにそうすることで、不安が少しだけ薄らいだ。
「強いのだな…そなたは」
切れ長の目を細め、トゥティノは低くつぶやいた。
「強い?」
「――心が」
ルリアはじっと目の前にいるひとりの青年を見つめた。
とても寂しい心。哀しみに揺れる心。己のふがいなさを嘆く心――。
硝子細工のような脆い彼の…心。
「あなたは…なぜここにいるの?」
彼は決して人を傷つけることをよしとはしていないように思えた。なのに、彼はこうしてリクウェアを制し、多くの人の命を奪い、傷つけている。そして自分の心をも傷つけている……。
「――いたいからいるのだ」
「それはエビドュと関係あるの?」
彼は何も言わずに目を細め、次いで瞳を伏せた。それ以上は彼の口からは何も出てくることはなく、トュティノは静かに部屋をでていった。
扉の向こう側では、トゥティノがその場でひざをついてうずくまっていた。まるで自分自身を抱きしめるかのような姿で、ぎゅっと口を結び、胸の痛みに耐えていた。
自分の心が分からない――…。
リクウェアでルリアと出会ってから、自分の本当の心が掴めなくなってきていた。彼女を見ると、遠い昔を思い出す。もう忘れてしまいそうになるくらい遠い遠い昔のことを。彼女が自分に向けてくれた無垢な笑顔を――。
その笑顔はいま、決して自分に向けられることはない。そう思うと、心が深く沈んだ。それは自分が招いた結果なのに。
(私は――私は―――…)
ふらりと立ち上がると、塔の最上階へと出た。トュティノは外に広がる荒野を見下ろした。ルリアはこの光景に涙していた。そしてルリアの涙を見たトュティノは、ひどく心が痛んだ。
緑の美しい森をこのようにしたのは、ほかでもないこの自分――。
直接手を下したわけではない。だが、このような結果になることはわかっていた。そして、そうなるよう仕向けたのは自分でもある。エビドュの願いをかなえるために。
彼に逆らうことができなかった、といえば言い訳になる。なぜならできなかったのではない。初めから逆らおうとすらしなかったのだ。
エビドュの行為は確かに無謀であった。
愚かな人間によって、もう救いようのなくなってしまったほし――…。もうこれ以上この惑星を生かしておく理由はない。だから破壊するのだ…。この星もろとも人間もこの世から――…。
エビドュは黒く笑った。
何も疑問を持たなかったわけではない。
壊れかけたほしだから破壊する? そこまでしなくてはならぬのか? 第一、このほしの「こころ」であるリクシュはこうなったいまも、ひたむきにこのほしを救おうとしているではないか。罪を犯した人間をも救おうとしているではないか…。
しかし、それをあえて口にすることはできなかった。
エビドュを蘇らせてしまった要因を考えても、とても難しかった。
だれがエビドュの封印を解いたわけでもない。人間自身の欲が、エビドュを再び目覚めさせてしまったのだから。
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