(はやく――帰りたい)
ひんやりとした外の空気を感じながら、ルリアは故郷を思った。
フェリィの報告では、ハートレイたちの安否は結局わからなかった、ということだった。それは同じリクウェア国内にいるテキスたちにも同様だと。
ただ、幸いなことに、悪いうわさもなかったとのことだ。
(大丈夫、兄様たちはきっと生きている――)
空には上弦の月が昇っていた。
鋭い刃のような輝きを放つその姿は、かの人を連想させた。リクウェアで出会った哀しい虚無に満ちた瞳を持つ彼を――。
──声を出さずに。今、二人がそなたを助けにくる。そのすきにこの場より逃げるがいい……。裏の門に馬を用意しておいた。それに乗って村へ行け。――そして明日の夜明けまでには必ずこの国を出るがいい。さすれば、そなたの会いたい者がに会えるはずだ──
侵略者でありながら、自分を逃がすような真似をした彼。
「悪」と「善」。
誰もが持っているひとの「心」。
彼らは何を思い、リクウェアを破滅に追いやろうとしているのだろう。
聞けば、彼らはもともとこの世界とは異なる空間で「眠り」についているはずだったということだ。それがなぜいまこのときに、ここへ出てきたのかはわからない。
何があったのだろう、彼らに。
リリリリ……
かすかに虫の音が聞こえた。
さわりと風に揺れる草。
リクウェアを思い出させる。かつてはこの景色がリクウェアにもあった。
一年前、両親や兄、スエレナ、テキスたちと開いた「月読の宴」のことが、色鮮やかに思い出され、目頭が熱くなった。
(今日はなんだか、泣いてばっかり……)
強くありたいと思うのに、どうしてこうも涙を流してしまうのだろう。
――だいじょうぶ、だいじょうぶ?――
小さな光がルリアの横をすーっと通っていった。
優しい森の精霊たち。
「だい…じょうぶ…」
うん、と小さく頷いた。
「大丈夫よ、ありがとう」
光はひときわ明るく輝くと、そのまま森の奥へと消えていった。
ルリアはもう一度月を仰ぐと、双眸を閉じてゆっくりと開いた。
「大丈夫。私はひとりじゃないもの」
リクシュがいる。クイントがいる。レイドやリエル、サナやフェリィがいる。遠く故郷にはテキスもいる。父や母、スエレナや兄ハートレイもきっと城の中でがんばっているのだ。
みな、それぞれの立場で己がなすべきことをなそうと、努力しているのだから。
ルリアは月明かりの中、リクシュたちの姿を捜し求めた。
と、小屋の裏へ回ってみると、木陰の間から三つの人影が見えた。それと同時に、レイドの声が風に乗って聞こえてきた。
「どうするんだ」
「――わかんないよ。ぼくにも…。でも、このままじゃどうにもなんないのは分かってるよ。サナのことも、ね……」
レイドは急に黙ると、しばらくして口を開いた。
「エビドュはおまえたちに何をいったんだ?」
腕を組んで木に寄りかかったまま、クイントは答えた。
「――条件を出してきた」
「条…件?」
「そうだ。これ以上、リクウェアを悪いほうにはもっていかない。そのかわり――」
「そのかわり?」
「ルリアを渡せ――」
「なんてことを……」
怒りに震えるリクシュの声。
ルリアは出ていくきっかけを失い、ぼんやりと三人の声を小屋の影で聞いていた。
「おい…、だけどそれは…」
「それは出来ない」
レイドの言葉を引き継いでリクシュははっきりと言い切った。
「絶対にルリアは渡せない。何があっても」
「あたりまえだ」
「でも、もし――」
ルリアを渡さなかったら…?
リクウェアはどうなってしまうのだろう。そして、サナは――?
言わなくとも三人にはわかっていた。
「それでも、渡せない。たった一人の犠牲ですべてが救われるなんておかしい」
ぎゅっとルリアはペンダントを握り締めた。
三人の言葉はとても嬉しかった。だが、それと同時に、大きな失望感に襲われた。
己は結局また守られてばかりで、肝心なところで役に立つことができないことに。
(――私がいけば、リクウェアは救われる? 兄様たちも助かる? サナも――?)
「私――行くわ」
自分でも不思議なほど、しっかりとした足取りでルリアは三人の前に姿を現した。
ぎょっとした顔で三人が振り向く。
「ルリア――」
しまった、という表情がありありと見て取れた。
くすりとルリアは笑う。
「私でも役に立てるのよね、いまなら」
「ルリア!」
「ね、行かせて。リクウェアに」
「だめだ」
珍しく声を荒げるリクシュ。
彼はルリアに近づくと、ルリアの右手首を強く掴んだ。
「ここで君がリクウェアに行ったら、それこそやつらの思うつぼだ。絶対だめだ」
「でも、私が行かなかったら、リクウェアはどうなるの! 彼は言ったんでしょう? 私が行きさえすれば!」
「だめだ!」
「だめじゃないわっ!」
「ルリアひとりが背負い込むことじゃない」
「でも、私が行かなきゃ始まらないわっ。私は、私はもういやなの! いつも何もできないで黙っているなんて、もういやなの!」
「ルリア!」
「お、おい…」
激しく言い争う二人の間にレイドが慌てて入った。
「おまえさんたち、ケンカしている場合じゃないだろう」
「黙っててレイドはっ!」
ほぼ同時に二人に言われ、うっと言葉に詰まるレイド。
すると、それまで黙って様子を見守っていたクイントが歩み寄ってきた。
「――やつを信じるのか、ルリアは」
静かな声でクイントが問う。
「ここまでリクウェアを追い詰めたやつのいうことを、ルリアは信じるのか?」
「――やつを信じるのか、ルリアは」
静かな声でクイントが問う。
「ここまでリクウェアを追い詰めたやつのいうことを、ルリアは信じるのか?」
「――信じなければ始まらないわ」
フッとクイントは小さく笑った。
敵も味方も関係ない。彼女にとってみれば、人として相手を信じるか否か、なのだ。人を信じることができない人間は、自分もまた、誰からも信じてもらうことはできない。
彼女らしい考え方だ――。
どこまでもまっすぐな彼女の心を、正直うらやましいと思いつつも、クイントはゆっくりと首を横に振った。
「ルリア――やつらのもっとも欲しているものを知っているのか?」
「――……」
「やつらが欲しているのはルリア、だ。そして、なぜやつらがルリアを欲しているか、というと――」
「ルリアの力を恐れているから、だな」
「だろう。だとすれば、ルリアを渡すわけにはいかない。己の弱点を手元においておけば、あとはやりたい放題できる。自分たちの前に立ちはだかるものはいなくなるわけだからな。だから、絶対にルリアは渡せない。わかるな?」
ルリアは瞳を伏せた。
「わかった……わ……」
ごめんなさい、と小さな声で謝る。
ぽろりと涙がこぼれてた。
なんで自分はこんなにも愚かなのだろう。
何もわからず、言いたいことだけを言ってしまって。リクシュたちの心遣いもわからずに。
「ぼくも悪かった――頭ごなしに怒鳴ったりして」
「ううん、リクシュは…正しいわ……」
「簡単にやつらの思い通りにはさせない。これ以上リクウェアを傷つけさせもしない。絶対に」
優しく握られた右手から、伝わってくる彼の温かな心をじんわりとかみしめながら、ルリアは月光の下、家路についた。
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