フェリィの口から出た名は、もう一人の男の名だった。
トゥティノとともに、この国を破滅へ追いやろうとしている張本人。
セフエフを影で操り、民を苦しめている男。
それにしても、なんと娟麗な男なのだろう。容姿の美しさという点においては、ハートレイも女性と見紛うばかりでとてもきれいな人だと思ったことがあったが、この男を目の前にすると、それもかすんでしまうほどだ。
これは、まるで…
(人間ではないようだ……)
人としての生気が感じられない。その美しさは、まるで霞のように思えた。
「――簡単に帰すと思っていたのか」
思っていたよりも低く、そして聞き取りにくい声だった。
「知っていたのですね、やはり」
すべて分かっていたのだ、エビドュは。
フェリィがリクウェアに来たことも、その理由も。そして探し人を見つけたことも、セヌエフと出会ったことも。
「探す手間が省けた。礼を言うぞ、水の『こころ』――フェリィと言ったか」
「!」
驚いたようにクイントはフェリィに目をやった。
名を知っている、ということはお互い面識があるということだろうか。
その疑問は次のフェリィの言葉で解消される。
「――お久しぶりです。エビドュ……まさかこのような場所であなたにお会いできるとは思ってもいませんでしたわ」
「相変わらず口が達者だな」
「それほどでも」
「あまり私を怒らせるな」
そう言った彼の瞳には、明らかに怒りが宿っていた。
「私も手荒なまねはしたくない」
「そう思うのであれば、いますぐあなたがいるべき場所へ戻ってください」
「――それはできぬ相談だ」
ぐいとさらに強くフェリィの腕をねじ上げる。
苦痛に満ちた声がフェリィの口から漏れた。
「フェリィ!」
「――忘れるな。今は我らのほうが有利な立場にいるのだ。その気になれば、この国なぞ一晩で消せる」
「何をっ!」
「ルリアをわたせ。さすればこれ以上この国を悪いほうに持っていくことはしない。おまえたちの住むあの場所にも近づかぬ」
思ってもみなかったエビドュの言葉に、フェリィは唖然とした。
が、すぐにキッとなると叫んだ。
「そんな条件、のむことなどできないですわっ! ルリアは絶対に渡せない」
「――そうか」
フッと不敵に笑う。
「ならば、見逃すわけにはいかんな、やはり」
空が翳ってき、雲が月を隠した。
その中で、男の瞳だけが不気味ににぶい光を放っているように見えた。
「――…せ」
「?」
エビドュが顔を上げた。
その瞬間、クイントから炎が放たれた。
「はなせっ!」
突然のできごとに、エビドュには防御をする暇もなかった。だが、とっさにマントで炎を打ち払う。
が、続いて放たれた炎をまともに受けてしまった。
一瞬のすきに、フェリィはエビドュの手を払い、何かを小声で言いながらクイントのもとへと駆け寄る。
「つかまってください、クイント!」
フェリィが水の膜で包まれた。
ぐいとクイントの腕を掴む。
「逃げる気かっ」
「――そうさせていただきます」
ふわりと笑う。
「二人であなたに立ち向かうほど――レイドほど無謀ではありませんから」
水の中で、二人の像がゆらりと揺れる。
「くそっ」
エビドュは慌てて手を伸ばしたが、そのときにはすでに二人の姿が消えていた。
3
夕食の後片付けも終わり、一段落付いたルリアはリクシュの姿を求めた。
だが、部屋の中には見当たらない。レイドやクイントも同様に。
休むにはまだ少し早い時間だ。
念のため3人に割り振られた部屋の扉をノックしたが、中から返事はなかった。
「さっき外に出ていったみたいだけど」
やはり一段落付いてソファの上で、手足を伸ばしていたリエルが体を起こしてドアの方を指さした。
一瞬ためらいを見せたルリアに、リエルは笑顔を向けた。
「行っといで。どうせサナも眠っているし、フェリィも疲れて眠っちまっているからね。とくにもうすることもないよ」
「ありがとう」とひことと礼を言うと、ルリアはドアを開けて外にでた。
大きな驚きと喜びで、ルリアたちはクイントを迎えた。
まず、ルリアが彼の姿を見ておまぬけな雄たけびをあげ、その声に何ごとかと顔を出したリクシュが続いて「えーっ!」と、これまたすさまじい声を出した。
「――知り合い?」
不思議そうに聞くリエルの言葉などまるで耳に入らぬようで、ぱくぱくと金魚のように口を開け閉めしている。
「こちらが、『力得し者』のクイントですわ」
二人の驚きを楽しむかのようにフェリィは紹介した。
「ルリアとリクシュがあらかじめ教えておいてくださったんで、クイントのことはあった瞬間に分かりましたわ。おかげで…」
「ちょ、ちょっと待った!」
にこにこ笑っているフェリィの言葉を途中でリクシュが遮る。
「本当に、本当に?」
「あら、私を疑うんですの?」
「いや、だって…」
「――気づかなかったのか、おまえ」
「うっ……」
ぐさりと止めをさすようなレイドの言葉に、リクシュは反論する。
「だって、そんなふうなそぶり、まったく見えなかったし!」
「おまえな…」
そういう問題じゃないだろ、とレイドは呆れたように息をついた。
「じゃあさ、レイドだったら…」
「はいはーい、そこまで」
言い合いになりそうな二人の頭をぽんと叩き、リエルはクイントに向かった。
「ま、こんなところだけど、気にしないどくれ。――そして、歓迎するよ。よくきてくれたね」
「――こちらこそ」
礼儀正しく礼をする。
そんなところをすっかり気に入ってしまったのがリエル。
「こいつらとは大違いだ…」と感心したように何度も頷いていた。それを聞いたレイドがまたリエルにちょっかいを出して、ルリアが最初に彼らとであったときのように、二人の応酬が始まった。
「――ほら、これ」
まだ唖然としているルリアに近づき、クイントが1通の手紙をルリアに手渡した。
「え?」
封筒の裏を見ると、美しい文字で「テキス」とサインされていた。
「預かってきた。お前にって」
封を開けると、中から出てきた一枚の紙。テキスには似つかわしくない優しい菫色の便箋。
(!)
したためられていた言葉を見て、不覚にも涙がこぼれた。
――まかせろ――
たったひとこと。
けれど、とても彼らしいひとこと。
「早く帰ってこい」でもなく、「待っている」でもなく、「まかせろ」。
いまだに何もできず、何もやり終えていないルリアは、戻りたくてもまだリクウェアには戻れない。
ルリアにすべてを背負わせるのではなく、自分たちも一緒に背負ってやる、そんな彼の心遣いが見える言葉。
「ルリア……」
「ん……」
「――はやく、一緒に戻ろうね」
「ん」
涙声で頷くルリアに優しくささやくリクシュ。「帰れるさ」と、小さく呟くクイント。いつのまにか小競り合いをやめていた二人も穏やかな瞳でルリアを見つめていた。
|