それまで黙っていた少年が下からセヌエフをねめつけた。
黒髪が風にゆれる。片目を失っていたその少年は、燃えるようなその瞳をセヌエフに向けた。多くの苦境を乗り越えてきた者に特有の雰囲気がその少年からも感じられた。
クイントの顔を見たセヌエフに一瞬、動揺が走る。
「お前…流入者か」
「だからどうだっていうんだ」
クイントは憮然とした表情をする。
「どこから来た?」
「──トルキア」
セヌエフは絶句する。
しばらくして、セヌエフは銃を収め、馬の首を返した。
「今日は見逃してやる。だが、今度会ったときは引きずってでも城に連れていく。肝に命じておけ」
従者の側まで戻ったセヌエフはもう一度少年と少女がいた方向を振り返った。しかし、その場所に二人はもういなかった。
セヌエフは、その後、町に行くのをやめ、そのまま城に引き返した。そして、部屋に閉じこもる。
(――どうして…)
セヌエフは頭を抱えた。
(どうして、生きていた――)
先程の少年の顔がちらつく。
あいつは言った。「トルキア」と。あいつはトルキアから来た人間だ。そして──
(間違いない――あいつはクイントだ)
そう確信する。
幼いころの面影が僅かに残っていた。いつも自分の後を追っ掛けていた幼い少年。自分のただ一人の弟――。
セヌエフはクイントより四つ年上だった。
毎日、仲良く遊んでいた。追いかけっこをしたり、木の実を探しにいったり…。戦争の最中とはいえ、可愛い弟の面倒を見る毎日は辛いものではなかった。
そんな生活が、ある日を境に変わる。
三つになったばかりのクイントを連れて、町外れの丘で木の実を拾っていた時だった。ふいに数人の男がやってきて、薬のようなものをかがされる。――気がついたら政府軍の少年兵育成所に連れてこられていた。クイントの姿は見えなかった。自分だけが連れて
こられたことを知る。
そこで政府に逆らう者たちを倒す方法を教え込まれた。この国を滅ぼそうとする悪いやつらを殺す方法を教わった。そして―――銃を手渡される。
誰も自分に逆らわない。
いっきに大人になった気がした。
欲しいものは何でも手に入る。飢えることもなかった。銃があれば――
しかし、そのトルキアも結局は滅んでしまった。そうしてセヌセフはリクウェアに流れ着く。
何もかもが自分が生きていた国とは違っていた。
だが、自分を変えることはできなかった。
リクウェアでは必要がない銃。だが、自分は銃を手放すことはできなかった。そうして平和な日々にうんざりした。もはや自分は戦争の中でしか生きてはいけない身体になってしまったのだ、そう実感した。
そして何よりも、憎かった。
平和なリクウェアの民を見ていると、無性に腹が立った。
彼らに対して怒りをもっても、どうにもならぬことはわかっていたし、それがお門違いなこともじゅうぶんにわかっていた。
だが、憎まずにはいられなかった。
自分は幼い頃から言葉にはできないような境遇の中、生きてきた。
悲しみと苦しみのなか、必死にもがいて生きてきた。
なのに、どうだろう!
この国の人間は、外の世界で起こっていることも知らず、安穏と暮らしている。
どうして、どうして…。
何故、神はこんなにも不公平な世の中を作ったのか。
リクウェアにくれば、きっと別の自分になれる。新しい生活が待っている。そう信じていた。だが、結局、この国に来ても自分の居場所はなく、心が安らぐこともなかった。
――ならば、自分でこの国を変えてやる。自分が辿った運命と、同じ目にあわせてやる。自分が安らぐためにはそれしか方法がないんだ――そんな思いが駆けめぐるようになった。
やがてトュティノと名乗る男が自分に近づいてきた。「お前の望むものをやろう」あいつはそういった。そして――おれは望むものを手に入れた。
だけど――安らぎだけは手に入らなかった…。
それがどうしてなのか分からない。
望むとおり、リクウェアという国をめちゃめちゃにしてやった。
だけど、おれの心は安らぐことはない。
そして、またおれの心を乱す者が現れた。
――まさか、生きていたとは…。あの戦争でみな死んだと思っていたのに。生きていて、しかもリクウェアで再びまみえようとは…――
「――っく…」
苦しい――
胸が苦しい――
欲しい――安らぎが…欲しい…
2
いったん村に戻った二人は、ことの次第を村長に報告した。
長は非常に驚いたようすだったが、最後にはフェリィに向かって深く頭を下げた。
「このとおりクイントは心を言葉で表すのが苦手なのでな。歯がゆい思いをすることもありますでしょうが、どうぞよろしく頼みます」
「――大丈夫ですわ。ここ数日でそのことはよく分かりましたから」
隣りでぶすっとした表情でクイントは二人のやり取りを聞いていた。
まったく人のことをなんだと思っているんだ、と小さな声で言ってはみたものの、二人はまるで聞こえないふりをして会話を続けている。
だが、正直、クイントは村長の言葉がとても嬉しかった。
他国からやってきた流入者の自分、反発して迷惑ばかりかけていた自分を、それでも優しく、おおらかな心で包み込んでいてくれた。
村長の言葉は、クイントのことを本当に大切に思っていてくれているからこそ出てくるものだ。
そして、何よりも別れ際の長の言葉は、クイントにとって、人生の中でも忘れることができないものだった。
「戻ってきなさい。すべてが終わったら。おまえが生きる場所はここなのだから」
久しぶりに熱いものがこみ上げてきた。
こぼれそうな涙をかろうじて飲み込む。
心底、ここに来てよかったと思った――。この国に来るまでには辛いことも、悲しいこともたくさんあったけれど、それでもこのリクウェアに来てよかったと思った。
クイントは大きく一つ頷くと、きびすを返す。
二人は地下の村を後にすると、地上へと出た。
すでに日は沈み、ひんやりとした空気があたりを支配していた。
風の音も、虫の声も何もしない。
空には冴え冴えとした月が、冷たい光を放っていた。
クイントは村をぐるりと見渡した。
もはや廃村としかいいようがないその風景に、心が痛んだ。
ここで祭りの準備をしながら大騒ぎをしたり、子どもたちと遊んだりしたことがまるで夢のようだった。
(もう一度必ず――)
二度と故郷を失ったときのような思いはしたくない。
あのとき、自分は無力で何もできなかった。
滅び行くふるさとを、ただ黙って見ているしか。すべてを受け入れることしかできなかった。
でも、今度は違う。
自分にはできることがたしかにあるのだ。
自分が動くことで帰られるものがあるかもしれない――。いや、本当は昔だってあったはずなのだ。無力であっても、自分が行動を起こすことで何かが変わったかもしれないのだ。
ただ、あのときの自分は何もしようとしなかっただけなのかもしれない。
今になって、そう思う。
だからこそ、もう二度と同じことは繰り返したくない。あとで「ああすればよかった」と後悔はしたくないのだ。
できることはしてみよう。
(だから行くんだ)
クイントはもう一度村を見回して、そして大きく頷いた。
直後のこと。
フェリィの小さな悲鳴にクイントはハッとなった。
振り返ると、闇より現れた手がフェリィの腕を掴んでいた。
何者、とクイントが問うより前に、その手の主が暗闇より姿を現した。
長い銀の髪の男――。
夜空に輝く月のように、鋭い刃のような瞳をした男。
クイントは本能でそれが、昼間、自分たちが求めていた者だと悟った。
(――トゥティノか?)
「エビドュ!」
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