蒼穹への扉
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笛の音が止んだ。少し離れた大木の木陰から自分を呼ぶ声が聞こえてくる。たちまちルリアの顔は笑みでいっぱいになる。
 そこには茶色の髪の少年が、片手に笛を持ち、白い馬の傍らに立っていた。
「リクシュ!」
ルリアは木陰へ走り寄ると、リクシュに飛びついた。
「っと…」
 その衝動で、リクシュの体が後ろに倒れそうになる。
「ルリア〜」
 リクシュは笑いながらルリアを地面に下ろした。そして、手に持っていた笛を腰のベルトとの間に挟むと、
「ルリア」
 急に真面目な顔でルリアの名を呼んだ。
「はい」
 リクシュの緊張した声に、思わずルリアも姿勢を正す。
「――ルリア…」
「はい?」
「――少し…重く…」
 言いおわらぬ内にリクシュは頭を叩かれ、今度は前のめりになった。
「失礼しちゃうわ。そんなに短期間で太るわけ…」
「ない?」
「と、思う…」
 少し自信無さそうに、ルリアは自分の体を見回した。
「冗談、冗談だよ。大丈夫。ルリアは――」
 今のままで充分に――リクシュはいいかけた言葉を呑み込んだ。そして誤魔化すようにハハハと笑った。
「なあに?」
「うん、ルリアは元気なのがいちばんいい」
「本当?」
「怒らないルリアがいちばん――」
「なに?」
 強い調子でルリアが再度問う。
「いえ、なんでもないです」
 ひどいなあと呟きながら、リクシュは叩かれた頭をさすった。そんなリクシュの仕種を見てくすっとルリアは笑うと、馬の側に近寄った。
 白く美しい毛並みの馬はルリアに撫でられると、嬉しそうに鼻をルリアの顔に押し当てた。
「ね、行こう」
 ルリアは振り返り声をかけた。
 頷いたリクシュは「よっ」と馬に飛び乗ると、馬上から下にいるルリアに左手を差し出した。ルリアはにっこり微笑むと、リクシュの手をギュッと握った。
「いくよっ」
 リクシュはぐっと力を入れて、ルリアを馬上の自分の後ろに引っ張り上げると、手綱を手にした。すると、それを待っていたかのように、馬はゆっくりと森のなかを村に向かって走り出す。
「街のほうも大分、準備が出来てきているでしょ?」
「そうみたいだね」
「村は?」
「行ってからのお楽しみ」
 ルリアは今先程、城の中であったことをリクシュに話して聞かせた。リクシュはそれを聞いてくすくすと笑う。そしてひとことこういった。
「スエレナも大変だ。帰ったら、また王女がいなーいって叫んでいるんじゃない?」
「大丈夫よ」
 だって、今日はそれどころじゃないもの、とルリアも笑う。
 

 馬は村に向かって、森の中を風のように駆け抜けていく。
 緑の木々の間を、そんなこんなして駆け抜けると、前方に開けた土地が見えはじめた。村だ。村に着いたのだ。
「ルリアさまっ!」
「おーい、皆の衆――っ、ルリアさまがいらっしゃったぞ!」
 リクシュに連れられてやって来たルリアの姿に気づいた村人たちは、仕事の手を休めルリアの回りに集まってきた。
「ルリアさま、おはようございます」
「ルリアさま――」
 ルリアは村人たちに春の陽光のような微笑みを浮かべ、一人一人に答えている。
「わあ、あともう少しね」
 村の広場で製作途中の花車を見て、ルリアが声を上げた。主に暖色系統の色でまとめられた花々を使い、それに白紙で作られた花をうまく組み合わせた見事なものだった。
「わたしたちが作っているのより、こっちの方がきれいだわ」
「いえいえ、城のに比べれば、村のは質素ですじゃろ」
 かかかと村人が笑う。
「今年の女神様はおきれいと聞いておりますし」
「そうね。女神様につられて張り切っている人が何人かいるから」
「おきれいなら、つられる者の気持ちもわかりますなあ」
 その言葉に、周りの者たちが一斉に笑いだす。
「兄様とテキスに言っておくわ」
「ははあ、女神様の美しさにつられておるのはハートレイ様とテキス殿ですか」
「あと、母様もかしら」
「おや、お美しい王妃様が惹かれるほどとは、一体どんなに美しことでしょう!」
 ふふふとルリアは笑う。
 そんなルリアを少し離れたところからリクシュはじっと見ていた。うれしそうなルリアの姿は、リクシュの心を和ませる。こうしてルリアの笑顔を見ているだけで、不思議と心が温まる。
 実際、ルリアの笑顔は村人たちにとっても有り難いものであった。ルリアの笑みを見ることで、今までの辛いことや苦しいことで疲れ果てた心は癒された。どんなに悲しいこともルリアの笑み顔で全てが光に変わっていった。リクシュは勿論のこと村人たちはルリアの笑顔に支えられていたと言っても過言ではない。
 逆に、ルリアの悲しげな顔は村人たちの心に重い空気を立ちこめさせる。そのことをルリア自身、よく心得ていた。だから、ルリアは村人たちの前では常に明るく振る舞った。この時世、ルリアにとっては辛いことも数多くあろう。しかしルリアはたとえ心が深く傷ついていたとしても、村ではそれを隠し、努めて笑顔でいた。――それは自分がこの国を治める王の娘であるということからくる責任感のようにも思えた。
 ルリアは本当に強い心の持ち主だ。自分にはない真の強さを持っている――リクシュはそんなルリアの様子を見ながらいつもそう思った。
「リクシュ」
 村人たちからひとまず解放されたルリアが、ぼうっとしているリクシュの顔をふいに覗き込んだ。
「うわっ」
 少し大げさとも思えるリクシュの驚きように、ルリアはぷうと頬を膨らませる。
「なによ、お化けでも見たみたいに驚かなくったっていいじゃない」
「ははは、ごめんごめん」
「ま、いいわ」
 ルリアはそう言うと歩きだした。
「どこ行くの?」
「クイントのとこ」
 その言葉にリクシュも何も言わず、後を追った。

ルリア
「ルリアさま」
 村の端にある家の前を通りかかったとき、中から一人の女が出てきてルリアにバスケットと、紙袋を差し出した。
「これを――」
「――ありがとう」
「いいえ」
 女はにっこりと微笑みながらそれだけ言うと、軽く頭を下げ広場に向かっていった。
「せめて村に来てくれるようになればいいのだけど」
「――まだ三月しかたっていないから…」
 リクシュの言葉にルリアは黙る。
 クイントは外の世界から来たものの一人であった。この国にやって来た者の中では最年少のまだ十五にも満たない少年であった。そして、多くの者が、この国の環境に慣れるまで時間がかかるように、彼もまた、村人たちとは心を隔て、村はずれにある廃屋を修理しひとり住んでいた。
 クイントがどこの国から来たのか、そして彼の身に以前、一体何があったのかなどといったことは、クイント自身が一切語らなかったので、村人はおろか、こうして村に来るたびにクイントの元を訪れているルリアでさえ知らない。
 ルリアは途中、花を少し摘んで、それをバスケットに入れた。それを、クイントの小屋に着くと、まず裏に回って、木の木陰に隠すようにして作られている三つの墓と思われるものの前にそれぞれ供えた。
 それが一体誰の墓であるのかはルリアにもリクシュにも分からなかった。唯一クイントが作ったものであることだけは分かっていた。ここに初めてクイントが来たとき、まず彼がしたことがここに何かを埋め、墓を作ったことであることを二人とも知っていたのである。
 恐らく、クイントの故国の者の墓に違いない。隠すように作られていながら、周りがいつも綺麗にされていることから、よほどクイントにとって大切な者の墓なのであろう。
 ルリアもここに来るたびに、何となく花を供えていた。
「クイント――入るわよ」
 表に回って戸を叩くと、ルリアは中からの返事を待たずに戸を開いた。ギッと音を立て開いた戸を押しやり、中を見渡したが、クイントの姿はなかった。
「いないの?」
 後ろからリクシュがひょいと覗き込む。
「うん。いないみたい」
 また、あそこかしら。とルリアは呟いた。
「いってみる?」
「いくしかないでしょ?」
 ルリアはバスケットを持ち上げてみせた。
 クイントは、小屋の裏に回って少し、村よりのところにある湖の辺にいた。その目は遠く故郷を思っているのだろうか、遙か彼方に向けられていた。
 ――そんなクイントの背中が、ルリアにはひどく寂しそうに見えた。
 ルリアはクイントの隣に腰を下ろした。リクシュは気を使ってか、少し離れた所にある岩に座ると、笛を取り出し、そっと息を吹き込んだ。
湖
「随分とここが気に入ったみたいね」
 ルリアの言葉にクイントは少し顔を上げた。またお前たちかというような目をし、再び水面に視線を戻した。
 
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