蒼穹への扉
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兄とテキスを捜すのにさほど時間はかからなかった。二人とも今日がスエレナの衣装合わせだと知っていたため、部屋の近くで待ちきれぬ様子でうろうろとしていたのだ。
 ルリアの姿を見つけると、彼等の方から近づいてきた。
「どうだ?」
 長身の黒髪の剣士テキスがまず尋ねる。
 剣士は短く刈ったその髪と同様の黒い服を着ていた。いつもながら、黒が良く似合う。剣を握るとまるで豹のようになるという瞳も、普段は温かい。何よりもそのひょうきんな人柄がルリアは好きだった。
 その隣には、ルリアと同じ少し長めの金髪を一つに結んだ王子でもある兄ハートレイが立っていた。緑の瞳を持つルリアと異なり、王妃と同じ青い瞳の兄は、妹ルリアから見ても端麗な顔だちをしている。そして十七とは思えないほど落ちついた雰囲気を持つ。黒を好む剣士とは異なり、こちらはモスグリーンの服に、薄い青色のショールを軽くはおっていた。遠くから見たら、女性に見えないこともないほど華奢な体躯に、それが恐ろしいほど似合っている。
「二人とも気になるわけね」
 ルリアは二人の様子に、思わずぷっと吹き出した。
「そりゃ、気になりますよ」
「裏から手を回した者としては?」
「いやいや……」
 ハートレイは、その髪を揺らし、前かがみになった。そうして、ルリアと視線の高さを合わせ、声を潜める。
「ルリアですか、そんな妙な噂を流したのは?」
「私は聞いたのよ。噂をね」
 ふーむとハートレイは宙を見る。
「それは、あくまでも噂。スエレナはきちんとした会議で選ばれたんです」
「知ってるわ」
「では、なぜ裏から手を回したなど……」
「そう言ってる人がいるんだもの」
「酷い人ですね。そんな根も葉もないことを」
「そうかしら?」
 「根も葉もあると思うわ」と、ルリアはくすくす笑い続ける。
「だって隣にいる人からわたし、聞いたのよ。兄様」
 くるうりとハートレイはテキスを返り見る。
「おや、違ったのか?」
 テキスはハートレイの肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「深く考えないほうがいいことも世の中にはあるんだぜ、王子よ」
 けらけらと笑うテキスと、複雑そうな顔をしているハートレイにルリアは部屋を指さした。
「母様の衣装部屋でお二人をきれいな女神様がお待ちですよ」
 そういって、そのまま部屋には戻らず、長い髪を揺らしながら走って行こうとするルリアの背にハートレイが声をかけた。
「気をつけて!」
 ルリアはその言葉にびくっとして立ち止まり、振り返った。笑顔で二人が手を振っている。
「まったく、あの二人は何でもお見通しってわけ、ね」
 これからルリアが何をしようとしているかも、そしてどこに行こうとしているかも言っていないのに、簡単にあの二人には分かってしまうのだとルリアは肩を竦めた。だが、自分が何をしようか分かっているのに、止めることもせず、快く送りだしてくれる二人に感謝した。

 


 城の暗い地下道を、ルリアはひたすら走り続けていた。
 やっぱりここは何回通っても薄気味悪い。重く冷たい空気の漂うなかに、ルリアの軽快な足音だけが響きわたる。
 ここはその昔、万が一のための秘密の抜け道として作られたものであった。それが長い年月がたつ内に人々に忘れ去られてしまっていたのを、たまたまルリアが見つけ、ちゃっかりと利用させてもらっているのであった。

湖  何もわざわざ地下道など通らず、きちんと正門から出ればよいのではあるが、それよりもこちらの地下道の方がルリアが行きたい所へは近道であった。
 ルリアが行きたい場所――それは城下の街を抜けた湖の辺にある村である。
村へは正門から出ると、どうしても街の大通りを抜けなければならなかった。それに比べて、この地下道を抜ければ、街を囲むようにしてある森の中に出、細い道を駆けていけば村までは一本道であった。
 それに、ここは何よりも、父と母に見つからずに城を抜け出すのには恰好の通路であったのだ。
 しかし、それは両親に外の世界へ出ることを禁じられているということではない。これはルリア自身の気持ちの問題であった。自分自身の身分柄、外へ出掛けるともなるとおそらく供の者が少なくとも一人はついてくるだろう。
 ルリアはそれを嫌っていたのだ。
 自分がこの国の王、ティタニアの娘であるということを忘れたことはない。それを誇りにも思っている。だが、村へ行くときだけはその思いから少しでも解放されたかった。
 自分の父の言葉一つ、行動一つがこの国を動かしている。そして自分自身の一挙一動が国の民に与える影響もルリアは幼いながらよく分かっていた。
 それ故、ルリアにとって、王の娘という立場は誇りではあったのだが、同時に重荷でもあったのである。村へ行くようになってから、その思いはますますルリアの肩に重くのしかかるようになっていた。それなのに、自分を監視(とルリアは思っている)する供の者などついてきたら、息が詰まってしまう。
 そうして、ルリアは何日かおきに、この地下道を使って外へと抜け出していたのであった。兄のハートレイやテキスは知っていたが、それを他のものに言うこともなかった。ただ侍女のスエレナだけは毎回のようにルリア捜しに追われ、少々うんざりしてはいるようであった。だが、やはり彼女も敢えてルリアを止めることはしなかった。
 どのくらい地下道の中を走ったときであっただろうか。前方から美しい笛の音が聞こえてきた。そして、それと同時にだんだん前方が薄明るくなってきた。出口はもうすぐだ。
 ルリアの顔が綻んだ。何日ぶりだろう、城の外に出るのは…。
 足を早めたルリアはやがて地下道の外へと抜けた。今日も青空はどこまでも続き、太陽はルリアを見下ろし、この森を優しく見守り続けている。爽やかな薫風がルリアの頬を撫でてゆく。
 耳を澄ませば、小川のせせらぎが耳をくすぐる。暦の上ではもう春を過ぎ、初夏の訪れを告げていた。陽射しももう、春の柔らかいものではない。
 ルリアは大きく深呼吸をした。狭苦しい城のなかの空気より、やはりこっちの空気のほうが何倍も美味しい。胸一杯に吸い込んだ空気はルリアの心の奥まで広がっていった。そうして、ルリアは笛の音の主を探してきょろきょろと辺りを見回した。
「ルリアッ!」
 
 
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