人間たちが我ら悪魔に恐怖心を抱かなくなってからどれほどの時が経ってしまったであろうか。
我らは遂に決心した。
やつらに我らの恐ろしさを思い知らせてやることを。
これはそのことと顛末である。
「このままではいかんっ」
ここは地の底にあるという悪魔たちの住処。
そこでは、臨時の悪魔会議が開かれていた。各地に住まう悪魔たちが集まり、現在自分たちが瀕している危険な状況への対策を話し合うためである。
大きな会議室は、そう、まるで人間界の国会議事堂の議事場を思わせる。ただ一つ異なることは、そこに座っている者たちが人ではない、ということくらいであろうか。
「このごろ、人間たちは私たちの存在を軽視している。このままでは我々の威信が地に落ちるのは目に見えている!」
こう叫んだのは獅子の頭を持ち、六本の足を持つ真っ黒な肌をした悪魔だった。
「だが、どうしたらよいものか」
「それを話し合うために集まったのではないか!」
ふむと、その場に集った悪魔たちは一斉に腕を組んで考え込む。
昔は人間たちも自分たちを恐れていた。自分たちが姿を現すと、真っ青な顔をして脅え、助けを請うた。だが、だがである。今の人間たちはどうであろう。
自分たちの姿を恐れるどころか、自分たちの存在すら認めない。いや、認めないということならまだいい。自分たちの存在を知らぬ者すらいるのだ。
このままではいけない……絶対に。何としても今一度人間たちに自分たちの存在を思い知らせてやらねばならないのだ。
考え込む悪魔たちの中から、とりわけ図体の大きな悪魔がおもむろに口を開いた。
「こうなったら、みなで人間界へ乗り込むのはいかがだろう。我らみなで行けば、人間たちも震えあがるに違いない!」
おお、と悪魔たちは歓声をあげた。
「幸い近々人間界と我らが住まうこの地に『橋』がかかる。この時期を逃さぬ手はないぞ」
そうだそうだとさらに大きな声が響き渡った。
そうして――
今にも雨が振り出しそうな気配を漂わせるある日の午後。七色に輝く虹がうっすらとかかった。こんな天気の日に虹がかかることを奇妙に思う者もいたが、大半の者は美しくも妖しい虹がかかっていることすら気付きはしなかった。そしてもちろん、この虹とともに、地の底から悪魔たちがやってきていることなど誰も思いはしなかった。
ぞろぞろと彼らは虹を渡る。人間たちに自分たちの恐ろしさを再確認させるために。
地上についた悪魔ご一行は列を作って、人々でごった返す休日の街中を練り歩き始めた。
ぞろぞろぞろ……
それはまるで被り物をした客寄せのための行列のように人々の目には映っていた。
しかし、悪魔たちは人間たちの興味に満ちた視線を、別のものとしてとらえていた。すなわち、人間たちは自分たちを畏怖のまなざしで見ているのだと。よし、これならば我々が彼らの心の中に再び恐怖を植え付けることも簡単だ、悪魔たちはみな自信を持ち、街を行進した。
「おい……あれを見ろ」
行列のちょうど真中あたりにいた立派な角を持つ悪魔が、不意に前を行く悪魔の背中を突ついた。
「――どうした?」
普段からあまり口数の多くないその悪魔は面倒くさげに振り向く。
「あの人間が口にしているものは何だろう。ずいぶんと妙なものに見えるが」
指差されてそちらを見やる。なるほど、二人の人間が何かを食しているようだ。うずまいた純白の色をした、そうまるでヒルのようなものをさもおいしそうに食べている。我らが知らぬ間に人間たちは奇妙なものを食すようになったものだ。悪魔はうーむとうなった。それにこの耳を劈くような音は何だ。何かのまじないだろうか。一瞬自分たちを召還するためのものかと思い、それにしては言葉が違うと首を傾げる。
その悪魔の言葉がきっかけとなり、他の悪魔たちも人を見て、あれもこれもとこそこそささやき出した。
そして駅前のロータリーに着くころには、悪魔たちの目には人間たちは奇妙な生き物としか映らなくなっていた。自分たちには解することがすでにできぬものになってしまっていると。しかし内心でこそそう思ってはいるものの、そのことを口にするものはいなかった。そんなことを言葉にすれば臆したのかと罵られよう、と誰もが思っていたのである。
彼らはここに来て、自分たちがすべきことを実行しようと決めた。ここならば自分たちのことを存分にアピールできると、行き交う人々に向かって大声で叫び始めたのである。
その声は、決してスピーカーやマイクを使った選挙演説よりも劣ることはなく、腹に響く、そうまるで打ち上げ花火のような重量感のある声だった。
「なんだなんだ」
「見世物やっているって!」
次から次へと人々が先を争うようにして悪魔のもとへと集まっていく。それもそうだろう。奇妙な格好をした者たちがぞろぞろとやってきたのだ。
これから始まるであろう彼らの芸。こんな街中でいったいどんなものを見せてくれるのか。人々は期待に胸を躍らせた。
「我らは悪魔なり! 地の底よりやってきた悪魔なり! 人間ども、我々を恐れよ。そして敬えっ」
「我らを恐れぬ愚かな人間たちよ。貴様らの魂を食ってしまうぞ」
悪魔たちは胸を張り、自分たちを見て集ってきた人間たちに向かって叫ぶ。先ほど感じた人間に対する思いを振り払うかのように、大きな大きな声で。
これだけの人間を前に自分たちの恐ろしい姿を見せつけてやれば、今後二度と悪魔をないがしろにすることはないだろう。これで悪魔の威厳は復活できることは間違いない。その場にいる悪魔たちはみなそう考えた。いや、思いたかった。
「何やってんだ、早くなんかしろー」
そんな中、一人の男が意気高々と演説を続ける悪魔たちを野次った。
「そうだそうだ! そんな前口上なんていいから何かしろ」
続いて茶化す声が飛ぶ。
「なっ……」
心の中に人々に対する脅えを持ってしまっていた悪魔たちは、愚かな人間の声に言葉を失った。
「面白くねえぞっ」
「もっと楽しいことをしろー」
人々の声は次第に大きくなっていく。
「わ、我らを愚弄する気かっ! 許せぬ、許してなるものかあっ」
一番先に立ち直った牛の頭をも持つ悪魔がさっと天に向かって腕を伸ばした。
「我らが怒りを知るがいいっ」
さっと腕を振り下ろすと、一番最初に野次った男の目の前に雷が落ちた。それと共に大地が地響きをあげる。ぐらりぐらりと大地が揺れた。揺れに耐えられなかった看板がビルの上から落下し、運悪く下にいた人々を直撃する。
一瞬の静寂。
「う、うわあああああああ」
人々は同時にパニックに陥った。大きな地震が都市を直撃したのだと誰もが感じ、大慌てで逃げ惑う。先を争い安全な場所を求めて人々は一斉に動き出した。
突如起こった出来事に、悪魔たちは対処できなかった。
ひたすらその場から逃げ出そうとあがく。だが、群集たちは悪魔たちがそこから逃げ出す隙を与えてはくれなかった。
暴徒と化した人々を鎮めることができるものなどその場にはいなかった。
押し倒され顔を踏まれた者、大切な尻尾をちぎられ泣きべそをかく者、ひたすら逃げ回る者、物陰に隠れことが収まるのをじっと待つ者……そこに威厳ある悪魔などいはしなかった。
「やめてくれえ」
悲痛な声だけが発せられる。それさえも騒ぎにかき消され誰の耳にも届きはしなかった。
何名かの悪魔は悲しいことにその場で命を落とした。生き残った者たちもこれ以上こんなところにはいられないと、ほうほうの体で逃げ帰った。
――我々悪魔は人間たちに我らの偉大さを知らしめるために地上へと渡った。
しかし、昔いたはずの人間たちはすでにいなかった。人間たちは滅びてしまっていたのだ。
彼らが我らを恐れぬのは道理である――
なぜならば、人間たちに代わってそこにいた彼らは、人間たちの皮をかぶった「悪魔」たちだったのだから……。
(全悪魔連合 臨時議会議長の言葉)