──聞こえる、声。
どこからか、私を呼ぶ声が。いつも。
優しく私の心に。響く。
懐かしい…声。
私は知っている。この声の主を…。
「帰ってきて、ここに」
「私」は少女に語りかける。しかし、少女は応えない。ただそこにじっと座っている。
何もない部屋。真っ白な空間の片隅で、少女はその細い身体を壁にあずけている。ときおり、窓から優しい風が吹き込み、白いレースのカーテンをなびかせる。暖かくもなく涼しくもない風。それはまるで少女の心のようにかわいている。
もうずいぶんと長い間、彼女のくちびるが開くことはなかった。漆黒の瞳は虚ろなまま、どこか遠くに向けられている。
少女の心が遠くに行ってしまってから、「私」はこうして少女に呼びかけつづけている。
帰ってきて。ここに。あなたのいるべき場所に。
けれども少女が「私」の言葉に応えることはなかった。
時間ばかりが過ぎてゆく。「私」はいつまでこうしていればいいのだろう。
「私」はすうと息を吸い込む。
少女が目覚める日まで、少女が再び自分自身の心を取り戻す日まで、「私」はここにいなくてはならない。
──「私」はそのために生まれてきたのだから。
どうして、私はここにいるのだろう。いつから私はここにいるのだろう。
考えてはみるものの、そのたびに私の心には真っ白な霧がかかる。
私のいた世界はどこ?
私はあてもなく歩く。何もない世界。真っ暗な暗闇がただただ続いている。
帰りたい。
(帰りたくない)
私はもとの世界に帰らなくっちゃいけない。
(帰る必要なんてない)
ここは私の居場所じゃない。
(現実にだって、居場所はない)
逃げていても何も変わらない。
(逃げることの何がいけないの)
どこまでもどこまでも続く漆黒の闇。自分がどこを歩いているのかさえ全く分からない。それでも私は歩く。ただその場でじっとしているのには堪えられないから。だから私は歩く。
でも、逃げたままでは、何も始まらない。何も終わらない。何も変わらない。
(何もいらない。何も望まない。どうせ私の願ったことなんて何一つ叶わないんだから。後で悲しい思いをするなら、はじめから何も望まなければいい)
分かっている…。私は、本当は分かっている。自分がどうしてここにいるのか。
暗闇を彷徨い続ける私は、自分の行く手にぼんやりとした白い空間を見つけた。
光のあふれる空間。闇の中で、そこだけが光で満たされていた。私は疲れ果てた足を引きずりながら一歩一歩そこへと近づいて行った。
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