遙か縁の土地めぐり



聖福寺

長崎からほど近い場所に聖福寺,というお寺があります。
1677年に創立されたお寺で,創立された方は京都宇治の黄檗山萬福寺で修業をされたそうです。
だからか,建物はどこはかとなく萬福寺を彷彿とさせます。
――雨予報だったのに,晴れたせいか気温もぐんぐん上がり,しかもここを訪れる前には亀山社中とか行っていたので,すでに上ったり上ったり上ったり…で疲れている私と友人。

この階段を見て絶望する(笑)

それでも頑張って階段を上った先に見えた大きな魚…。これは…萬福寺で見たことがある(笑)
黄檗宗のお寺ってこれが必ずあるんでしょうか?
確か時間を知らせるもので,お魚のように目を閉じずに修行に精進しなさい,とかいう意味がありませんでしたっけ?
おなかのあたりには叩いた後がありましたので,しっかり使われたんだろうな。
今も使っているのかしら?

そうそう!このお寺に来た理由は,何もこの大きな魚を見に来たわけではありません。
ここも幕末ゆかりのお寺さんなんでございます。
下記のものがお寺にあった説明書き。

聖福寺

京王3年(1867年)5月22日,いろは丸事件の談判が,この聖福寺で行われました。
4月23日,坂本龍馬らが乗った「いろは丸」は,瀬戸内海で紀州藩船「明光丸」と衝突・沈没。
その賠償交渉が鞆の浦と長崎で行われ,龍馬は土佐藩士・後藤象二郎とはかり,紀州藩に賠償金8萬3000両(のちに7万両に減額)を支払わせることで決着しました。
このとき龍馬は世論を味方にするため「船を沈めたその償いに,金をとらずに国をとる」という歌をつくり,長崎の街中に広めたと言われています。

(長崎市)

ここにも龍馬が来たことがあるんだなーと思うと,なんとも不思議な気持ちになります。
ちなみに,夏のお寺ってどこもそうだとは思いますけれど,蚊が!蚊が!!――たくさん刺されました…。

作品とのかかわり

作品中には出てきません

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