遙か縁の土地めぐり



門司城跡

行く気はまったくなかったんでございますのよ。
ああ、あるんだな、くらいだったんでございますのよ。
が、現地に行っていやーんな説明を目にしたんですのよ。

「知盛が築城」

行かぬといかん気がいたしました(笑)。
行かないと後悔しそうな気がいたしました。
ふふふ…わかったよ!いってやろうじゃないかー!
が。 門司城があるのは、お山のてっぺん。 途中で壇ノ浦合戦の壁画がある公園があるので、そこはぜひとも立ち寄りたい。 バスは、と……ない。 タクシーは、と……通らない。 歩くしかないやん!
ってことで,ひたすら歩いていきました。
なお,1度目は徒歩。2度目は友人と一緒に訪れたので,快適に車でした…。車,すごい…。

途中で「門司関址」なるものもありました。
門司は都と大宰府を結ぶ重要な地だったため、関所がおかれたようです。 しかも646年…ものすごーく昔です。それこそ平安時代より前。

石碑もあります。

そしてようやく頂上へ。

門司城(門司関山城・亀城)
門司城は、最初平知盛が源氏との合戦にそなえて、長門国目代紀井通資に築城させた、といい伝えられている。
寛元2(1244)年、下総前司親房が平家残党鎮圧の下知奉行として、鎌倉幕府より豊前国代官職に任じられて下向。
のち門司六ヶ郷と筑前国香椎院内などを拝領した。
(中略)
その後の門司城は、城主も入れかわりながら続いたが、細川忠興の豊前入国後の元和元(1615)年、一国一城の令により、およそ400年におよぶその歴史をとじた。

景色はめっちゃきれい。
関門橋も見下ろせます。

廃された後も、ここはやはり軍にとっても重要ポイントらしく、砲台が設置されたりとしたらしいですね。
こちらはその砲台跡のもよう。

山頂に残っているのは、石碑とこれくらい。
あとは,妄想で補いましょう!

作品とのかかわり

作品中には出てきません

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