遙か縁の土地めぐり



甲宗八幡神社

860年、清和天皇が創建。
神功皇后が着用したと言われる甲が御神体。
なんでも50年に一度だけ公開されるらしく、平成20年に公開があったもよう。
――ということは、もう生きている間には拝めないかもしれませんね(笑)
源平の戦いの後、源範頼・義経が社殿を再建したんだそうです。
が、ここのメインは「伝知盛の墓」と言われているもの。
赤間神宮にもありましたが、こちらにも…。
もともとは別のところにあったそうですが、昭和28年の大水害のときに筆立山から流れてきたそうです。ということは、もともとは山にあったということか。

こちらは拝殿。

ちなみに私,たぶん2回いっておりまして,下の写真は秋に訪れたときのもの。
銀杏がとてもきれいだったんですよね。

そしてこちらが知盛のお墓と伝わっているものです。説明版もあります。

伝平知盛の墓
(向かって左…墓 向かって右…供養塔)
この石塔は平知盛の墓として甲宗八幡神社に伝わるものです。
知盛は平清盛の四男で、勇猛果敢な武将として能「船弁慶」などの芸能にも取り上げられております。
父清盛亡き後、平家の総帥になった兄宗盛を補佐し、平家一門の統率的な存在となり、寿永3年、所領の彦島に本拠地を置き、古城山山頂に門司城を築いて戦に備え、翌年の壇ノ浦の戦いでは、田野浦に兵を集め、満珠・干珠島付近に布陣する源氏を攻めますが、義経戦略の前に武運なく敗れ、安徳天皇をはじめ平家一門の最後を見届けると
「見るべき程の事はみつ」
と潔く入水してその一生を終えました。
墓は甲宗八幡神社が鎮座する筆立山山中にありましたが、昭和28年の門司の大水害により流れ、拝殿裏に傾いたままの上体にありましたので、ここに再祀しております。

おみくじはとってもかわゆかったです…(^^)/

作品とのかかわり

作品中には出てきません

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