遙か縁の土地めぐり



風呂の井戸

門司港から電車に乗って門司駅までいくと、いくつか平家絡みの史跡があります。
私が事前にいただいた資料では、風呂の井戸と柳の御所というものがあるらしいということがわかっていたので、まずは風呂の井戸から訪れてみることに。
結構わかりにくいですが、どうにかたどり着けました。

通りに面してはいますが、本当にわかりづらいので、事前に番地は調べていったほうが無難です…。
マジ、迷う。

井戸にはふたがしてあったので、中まで見ることはできません。
が、なんだか、設備は比較的新しいですね(笑)。

小さな史跡ですけれど,ちゃんと説明版もありました。 

風呂の井戸
木曽義仲の乱入で京都を追われた平家は再起の地を大宰府に求めたが、緒方惟義の反逆にあい、住吉、箱崎、香椎、宗像をふしおがみ、芦屋から海路この柳ヶ浦につき「内裏」を定めたのが、寿永2年の秋であった。
旅の疲れをいやすための風呂の用水がこの「鏡ヶ池の玉水」で、以来この泉を「安徳帝風呂の井戸」といい伝えられている。
この周辺の字名は風呂になっているが、大正の末期に不老として町名にした。

風呂の井戸の隣にはお地蔵様。
外からはきちんと見ることはできませんが。

風呂の地蔵
一度は西下した平家もむなしく引揚げ、一の谷で敗れ、再び西下、壇の浦の藻屑と消えたのが寿永4年であった。
平家一門の霊を祀った風呂禅院西光山大専寺は柳村に在ったが、慶長年間に改宗して、街道筋に移され、地蔵堂だけは風呂の一角に残されていた。今改めて小堂を建立し御幼帝の霊を弔う。合掌。

作品とのかかわり

作品中には出てきません

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