遙か縁の土地めぐり



佐藤継信の墓

八栗の駅から,南へ向かってあるいていくと,なにやら地図上には「王墓」というものが…。
鬱蒼と茂った…山?と思ったけれど,どうやらそれが王墓らしいです。
時間がなかったので上まではいきませんでしたが,どうやら讃岐の国造の始祖神櫛王の墓所とのことです。
でも,埋もれていたらしく,それを明治になってから,神祇官の許可を得て整備したもよう。

その王墓のすぐ隣にあったのが佐藤継信の墓。
今度こそ本当の墓。碑ではないです。
が。が。入れない(笑)。
扉が設置されており,鍵がかかっておりました。うむー。
仕方がないので,遠くから見るのみ。ざんねーん。

佐藤継信の墓
源平合戦の際,義経の身代わりとなって戦死した佐藤継信の墓です。
寛永20年,松平頼重公が新しく墓石を建てて,その忠死を称えました。
昭和6年5月,継信30世の孫・山形県人佐藤信古氏が,さらに大修築を加えて面目一新しました。

――30世の孫……。
す,すごいなあ……。

ちなみに,このお墓の右奥には,義経の愛馬太夫黒の墓もあります。
残念ながら位置的に見えませんが。 太夫黒はもともとは後白河法皇からもらったみたいですねー。
で,継信がなくなった際,義経は太夫黒を志度寺の上人に預けて菩提をとむらわせたそうな。
その後,太夫黒が死んでしまったとき,志度寺の人たちがせめて継信のそばに,とここに埋めたということです。

作品とのかかわり

作品には出てきません

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