遙か縁の土地めぐり



六万寺

ほかの史跡と少し離れたところにあるのが,六万寺という小さなお寺さんです。
六万寺は平家がらみのお寺。
安徳天皇が一時期滞在したことがあるという場所です。なので,「仮御所」といわれてもいるんだとか。
はじめて訪れたときはこんな感じでした。

それがですね,二度目に訪れたときはこうなっていました。

説明書きにはこうありました。

六万寺

寺記によれば,天平年間,全国に伝染病が流行し,多数の死者を出したので,聖武天皇は行基菩薩に命じてこの地に一寺を建立し,お祈りさせたところ,たちまちに伝染病は消滅したという。
その後,有志により六万躯の小仏像を安置して六万寺と称したと伝えられています。
また牟礼,大町付近に42の支院を持ち,寿永2年の源平合戦の時,安徳天皇の行在所となった由緒ある寺であるといわれています。
しかし,中世兵火のため,消失したがその後,復興されました。
現在の建物は延宝6年最高されたものであるといわれています。

安徳天皇がいる間は,安徳天皇を慰めるために相撲がされたこともあったのだそうですが。が。相撲ってそんな昔からあったの??
ちなみに,その相撲は現在も「子ども神相撲」という神事として残っているもよう。
また,公開はされていませんが,平家の人々が詠んだ短冊が残されているのだそうで。
中には重衡のものも。

嬉しくも 遠山寺に 尋ね来て 後のうき世を もらしつる哉 平重衡

平家が去った後は,義経が戦勝祈願し,命を落とした兵士たちを弔ったという言い伝えも残っており,同じ境内に「勝軍地蔵」なるものもございます。

一度目はまさか境内の奥にあるとは思わず,見逃したんですよね(笑)。

勝軍地蔵誌

天平弐年(今距壱千弐百余年前)当国国主高晴公当寺ヲ草創セラレシ時祭祠ノ鎮守ニシテ一見千古ノ秘仏凛然タリ,爾来万民普益霊験数フルニ暇ナキ灼ナル零体ニシテ屋島合戦ノ時ニモ源軍将義経公此所ニ参詣シ戦勝祈願文ヲ奉り絶大ノ霊験ヲ受ケタリ天正十一年四月長曽我部元親ノタメ回禄ノ炎ニ遇ヒタルモ尊容厳然トシテ寸暇ナク焦土ノ中ニ立チ給フ旧藩主時代ニハ当寺ヨリ西南方皿池堤防道路ヲ藩公御通過ノ砌ニモ必ス下乗礼拝セサレハ災厄相生シタリト里人今ニ至ルマデ語リ伝フ,尊体ハ秘仏トシテ公拝ヲ許サス武装ノ地蔵尊ナルカ故ニ軍闘勝負ヲ司リ霊気揆棘ニシテ所願霊験最モ神速ナリ
仍チ至誠以テ不敬ナキ様参拝セラルヘシ

大祭 夏六月二十四日 秋八月二十四日
六萬寺執事 以上

さらに,境内の片隅には安徳天皇生母徳子の碑なるものもありました。

同じ境内に,平氏と源氏,両方にまつわる史跡がぎゅぎゅっとあると…なんだか不思議な気持ちになります。

作品とのかかわり

作品には出てきません

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