長刀泉から少し離れたところにあるのが「菜切地蔵」。
これまた弁慶さんに関係のあるものらしいです。
行ってみると,建物は比較的新しいものでした。
住宅地にあるので,ちょっとわかりにくいかも。
菜切地蔵
長刀泉から少し離れたところにあるのが「菜切地蔵」。
これまた弁慶さんに関係のあるものらしいです。
行ってみると,建物は比較的新しいものでした。
住宅地にあるので,ちょっとわかりにくいかも。
説明書きを読んでみたんですが,これがまた,結構面白いです。
菜切地蔵
源平合戦の時,弁慶が源氏の兵のため,炊事をするのにマナ板がなかったので,この石地蔵の背で野菜を料理して汁を作り,義経以下に差し上げたといいます。
そのときのことを後世の人は,
「弁慶がこしらえし菜は武蔵坊」
と発句を詠むと,すかさず弁慶は
「それを知りつつ九郎判官」
と詠んだといわれ,お地蔵さんの背には,刀痕があるとまで言われています。
えーとですね,これまた説明書きに対していろいろとツッコミを入れたくなりませんか?(笑)。
「後世の人」といっているのに,それに対して弁慶はどうやって「すかさず」言ったんでございましょうね。後世ってことは,後の世(当たり前)。後の世ってどれくらいなんでしょうか。
私の感覚だと,数世紀後。少なくとも,弁慶と義経が世を去った後ではないかと思うんですが(笑)。
さすがですわ…弁慶さん…。
ちなみに窓からのぞくと,中はこんな感じ。座布団などがあるので,きっとこのあたりの集会所みたいな感じで使われているのかもしれませんね。
お地蔵様のすぐそばにいた方々。
お花も新しかったことを考えると,地域の人たちに大切にされているんだろうなあ。
作品には出てきません