遙か縁の土地めぐり



平家物語歴史館

ガイドブックの地図に従って歩いていったんですが,思ったより駅から遠かった(笑)。
最初に訪れたときは,地図と場所違っていて,ぐるぐると探してしまいました(^^;

そしてようやく到着。
私が訪れたときは,開館直後。
およ…チケット売り場,開いていません。
休みってことはないはずなんだがなあ。うろうろしていたら,お土産売り場から入れることが発覚。
入り口,わかりにくいです(笑)。

んで,さっそく中へGO!
1Fは四国出身の人々の蝋人形が飾られています。よって,ほとんど源平とは関係なし(笑)。
ただ,今までいろんな史跡にあったような説明書きのパネルがここにもありましたけどね。

2Fに行くと,いよいよ平家物語の世界が展開されます。蝋人形で再現される「平家物語」。それはそれはミゴトでございます。
平家物語は,学生時代にちょっとだけ触れたことがあったなあ,と思い出したり。御伽草子についての授業で,天狗について調べることになり,ここまでさかのぼったのでございます(笑)。平家物語もそうだけれど,古典って「○○本」っていう感じでいろんな種類がありますから,それによってかかれていることも微妙に違っていたりするのよね。
――と,横道にそれた。

では,ざっくりと展示に沿ってご紹介。

まずは清盛の父忠盛の話から始まります。
白河院のお供をしていたときのこと。
光を発する鬼のようなものに遭遇。忠盛が捕らえてみれば年老いた法師でした。
白河院は褒美として,自身が寵愛していた祇園女御を忠盛に下されたのですが,このとき祇園女御は院の子を身ごもっていました。
この子が清盛という説があります。

続いて栄華を誇る平家の図。
「平家にあらずんば人にあらず」という言葉は有名です。
当時武士と言えば平氏と源氏。しかし,保元の乱と平治の乱で勝利をおさめた清盛は,ついに太政大臣の位にまで上りつめます。

こちらは祇王と祇女,そして仏御前。
祇王と祇女は清盛の寵愛を受けていましたが,清盛が仏御前という別の白拍子に心を移し,邸から祇王と祇女を追い出したため,二人は出家し嵯峨に隠棲します。
仏御前も二人を見て出家し二人のもとへといきます。
今では祇王寺として知られていますよね。

1177年に平家を倒す企てが露見します。
結果,島に流された人たちの中に俊寛がいました。翌年,恩赦が行われましたが,赦免状には俊寛の名前のみありませんでした。

清盛の息子重盛の二男資盛が摂政基房に下馬の礼をとらなかったがために,馬より引きずり降ろされました。
これを知った清盛が激怒。逆に資盛たちが基房たちを襲ったのです。

やがて清盛は福原に遷都します。
平安京になってから,天皇さえ遷都しなかったのに,人臣の清盛が遷都したと都は大騒ぎ。新都では怪異が出現…。

新都で出現した怪異の数々。
清盛の邸では壁に「大顔」が現れたり,庭に多くの髑髏が現れました。結果,清盛はついに旧都に帰還。
結構怖いですよ,この展示(笑)

1180年,以仁王と源頼政は,平家追討の令旨を発し兵を挙げましたが敗北。
そして富士川で対峙した平氏と源氏。
源氏の一隊が渡河しようとしたため驚いた水鳥が一斉にとび立つのを,平家軍は襲撃と間違えて,逃げ去りました。

以仁王が兵をあげると,奈良の僧兵も加勢。
清盛は重衡を大将として攻めさせました。
重衡は多くの寺を焼きました。中でも東大寺の大仏は焼け崩れ多数の死者が出ました。
銀ー!!

1181年,平家への反乱が各地に広がりました。
そしてついには清盛が高熱に襲われ倒れました。

「遙か3」のゲームでも出てくるシーン。
鵯越でございます。
この弁慶と義経の表情がたまらぬ(笑)

一の谷の合戦でのお話。
敗れた平氏の武者を,源氏の熊谷直実が追い組み伏せるとまだ若い。
名を尋ねても答えない彼。泣く泣く首を斬ったのでございます。若武者の名は平敦盛でした。
今でも一の谷のあたりに敦盛の塚があります。
頭と胴体で場所が違うんですけれどね…。

寿永4年,義経は屋島を急襲。扇を竿の先に縦,陸に向かって手招きしている女房。
義経はそれを見て,那須与一宗高に射るように命じます。
与一は「南無八幡」と念じて鏑矢を放ったところ見事,扇にあたりました。

最後の決戦の地,壇ノ浦。
平家の劣勢を見た二位尼は覚悟を決めて,8歳の安徳天皇を抱き上げると,「波の下にも都がございます」と入水したのでございます。

平家の心ある武将はみな,海へと身を投げました。
総大将知盛も「見届けるべきことは見終わった。今は自害しよう」と,鎧を身につけて海に沈みました。こうして平家は滅亡したのでございます。

建礼門院は我が子安徳天皇の後を追って入水しましたが,源氏の兵士に助けられます。
都へ戻った彼女は尼となり,寂光院で平家一門の菩提を弔う日々を贈ったと言われています。

「平家物語」は琵琶法師によって広められたと言われていますが,いつ成立したものかは正確なところがわかっていません。
おそらく,鎌倉時代初期に原型ができたと言われています。

この資料館,とてもお勧め。写真もとってOKだし,遙かファンなら夢中になることでしょう(笑)。
人もさほどいないので,ゆっくりと見ることができましたよー。

作品とのかかわり

作品には出てきません

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