遙か縁の土地めぐり



東行庵

友人と訪れた長州の最終地点は東行庵。
そこに晋作が眠っているんですよね。
奇兵隊の陣営があった場所らしく,晋作の遺言でその近くに埋葬されたそうです。
そして晋作が亡くなったあと,愛人のおうのさんが東行庵として晋作の墓を守り続けたそうです。 駐車場に着くと,まず視界に入ったのが「晋作餅」の文字!

しそが巻いてあります。
晋作が,梅が好きだった&おはぎが大好きだった,ということからこんなことになったそうな(笑)
鮮やかな手つき次々と焼かれていきます。
焼きたてがとてもおいしいのです~。
そしてお店のおばちゃん,快く撮影に応じてくれました(笑)

持ち帰りも当然のことながらできるので,いくつか買って持って帰りました♪

さあ,いざ中へ。
まずは立派な石碑が迎えてくれます。

結構中は広いです。
お墓やら像やらいろいろありますから。
そして,こちらが庵でございます。

中に入ることはできません。 残念ながらそこから眺めるだけ~。
庵の前には説明書き。

東行庵
この地は清水山と称し幕末のころ,奇兵隊軍艦山縣狂介(有朋)は麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。
慶応3年4月,高杉晋作の遺言により遺骸を奇兵隊の本拠に近いこの地に葬った。晋作に仕えていた愛人うの(後に谷梅処)は黒髪を断って出家したので,山縣は明治2年無隣庵を梅処に贈り欧州に旅立った。
現在の庵は明治17年伊藤博文・山縣有朋・井上馨等全国諸名士の寄付により建立されたもので,梅処は明治42年にその生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。
昭和41年東行の百年祭を機に庵に原型をとどめるため大修理を行った。

庵の近くには記念館もあり,数々の品が展示されています。
規模としてはそんなに大きくもないですが,見てみるのもいいかもしれません。
また,記念館の受付でご朱印もいただけます。

晋作のお墓もございまする。
萩にもありましたけれどね。

灯籠とかは木戸孝允(桂さんね),伊藤博文,井上馨などが寄進したものとなっています。すごいなあ。

高杉晋作墓
高杉晋作(号・東行)は天保10年(1839)8月20日,長州藩士高杉小忠太の長男として萩城下に生まれました。
藩校明倫館に学ぶ一方,松下村塾で吉田松陰に師事。文久2年(1862)には幕府貿易視察団に加わり清国上海に渡り,ヨーロッパの半植民地と化した街を見て大変な衝撃を受けました。
文久3年6月,下関を外国艦から防備するため奇兵隊を結成。奇兵隊は武士以外でも「志」があれば入隊を許した画期的な軍隊でした。
元治元年(1864)8月には,四国連合艦隊の下関砲撃事件の戦後処理にあたり,また同年12月には長府功山寺で挙兵し,藩論を倒幕路線に統一しました。
さらに下関開港,薩長同盟締結などを推進。慶応2年(1866)には,奇兵隊などを指揮し,長州再征軍を小倉口に撃退しました。
慶応3年4月14日,下関で結核のため病没,奇兵隊陣営近くの吉田清水山に埋葬されました。27年と8カ月の短い生涯でした。
山口県教育委員会/下関市教育委員会

それから,奇兵隊および諸隊士顕彰墓地もありました。
維新の戦争で亡くなった志士たちの多くは無縁仏となる者が多く,墓が荒れることが多かったそうです。
そのため墓地そ開き各地から隊士の墓を集め供養したとか。

こ白石正一郎のお墓もございました。
今回の長州の旅で,意外と縁があった方です。

晋作のお墓のすぐ近くには,おうのさんのお墓もありました。
友人と二人して
「晋作ルートの神子はおうのさんなのかねえ…」
なんて話をしていました。

境内にはこのほかにもいろんなものがあります。
こちらは晋作の漢詩。

焦心録に題す 高杉東行
内憂外患吾が州に迫る
まさにこれ,邦家存亡の秋
まさに回天回運の策を立てんとす
親を捨て子を捨つる またなんぞ悲しまん

えーと意味としては…要するに国内外の憂いがあって,いまこそ国家存亡の危機である,と。そんなときだからこそ,国のために尽くすべき。親を捨て,子を捨てることに,なぜ悩むことなどあろうか――といったところでしょうか。
25のときに作ったもののようです。
昔の人って…多才だよなあ…。

晋作の像もありました。

こちらは高杉東行顕彰碑。明治44年に建てられたもの。
動けば雷電の如く…といった文で始まり,晋作の業績が書いてあるそうな。

さらに高杉東行歌碑。
晋作の歌碑です。櫻山神社の招魂社を創建したときに詠んだものっぽい。

おくれても おくれても 又君たちに 誓ひしことを あに忘れめや

そしてそして!

「面白き こともなき世に おもしろく」

でございます。

「すみなすものは 心なりけり」

下の句は「望東」と記載されています。この方野村望東尼という方で,晋作をかくまったこともあった方です。
病床にあった晋作を看病していました。

境内には見事な紅葉も。

こちらの楓は「東行楓」とありました。
みごとな赤。
このとき訪れた場所の中では,ここの楓が一番ミゴトだった気がします。
そういえば,ネオロマのイベントでも,高杉さん,やたらと長州の紅葉を絶賛していましたよね(笑)
確かに素晴らしいわ…。

作品とのかかわり

作品中には出てきません

TOPへ