遙か縁の土地めぐり



高杉晋作終焉の地

下関にある晋作終焉の地。
ものすごーくわかりづらい場所です。
看板があるけれど、わかりづらいです。
迷って、現地の人に聞いて、それでもわからなかったです(大笑)

まずは住宅地の中に現れた史跡入り口。 

拡大するとこんな感じ。

そばには説明版もあるので,わかりやすいと思います。

高杉晋作終焉の地
高杉晋作(号・東行)は天保10年(1839)8月20日、萩藩士高杉小忠太の嫡男として萩城下に生まれ、萩校明倫館に学ぶ傍ら、松下村塾で吉田松陰に支持し尊攘思想を養いました。
文久3年(1863)6月、攘夷の決行で外国艦に砲撃された下関を防衛するため来関し、ただちに奇兵隊を結成しました。
奇兵隊は「志」があれば庶民でも入隊を許した画期的な軍隊でした。
元治元年(1864)8月、下関戦争の戦後処理にあたり、また、同年12月には長府功山寺で挙兵して藩論を討幕へと導きました。 慶応2年(1866)6月からの四境戦争(第2次長州征伐)では、奇兵隊等の諸隊を率いて幕府軍を小倉口で撃退しましたが、既に病に冒されており、慶応3年4月14日、新地の庄屋林算九郎邸の離屋があったこの地で没しました。27年と8月の短い生涯でした。
なお、遺骸は奇兵隊陣屋近くの吉田清水山に埋葬されました。

それにしても…晋作って30まで生きていないんですよね。
数えで29でなくなっています。
銅像とか見ていると、もっと年齢がいっているように見えちゃうんですけれど!

作品とのかかわり

作品中には出てきません

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