遙か縁の土地めぐり



大歳神社

下関駅のすぐ近くに大歳神社という神社があります。
この神社は義経が壇ノ浦合戦の戦勝祈願をした神を祀っています。

まずは鳥居。
明治維新の史跡のようです。
私,2度参拝しているはずなんですが,1度目に訪れたときはまったく気づいていませんでした!
人間,興味がないものには目も向かないというか~(笑)

維新の史跡(大鳥居)
明治維新の原動力となった騎兵隊の果たした役割は周知の通りであるが,創始者高杉晋作を辛抱して尊皇倒幕の推進にい全資産を投入しこれを援助した豪商志士白石正一郎の功績は計り知れないものがある。
この白石正一郎は敬神の念あつく,文久2年,氏神大歳神社に大鳥居を奉納して攘夷必勝を記念した。
参道(石段)の下の鳥居がそれであるが,終始表に出ることなく陰の力に徹した正一郎を顕彰する数少ない史跡である。
また京都における文久3年8月の政変によって三条実美ら勤皇の公卿七人が西下し,下関巡視の際に七卿落ちの有様を画碑として境内に建立している。(下関市)

んで,この階段を上っていく必要があるんですが,ちょっとわかりづらいですが義経ののぼりが立っていたんですよね。1度目に訪れたときは。
2度目の時はなくなっていましたけれど。

階段の先でお参り。
神社の説明書きも当然ございます。

大歳神社
源義経は文治元年,有明山(現JR下関駅辺りの線路敷)にて大歳御祖神の御神霊を祀り,平家追討の戦捷の祈願を捧げました。
現社殿は昭和15年に当地に遷座されました。当時の階段は123段築きお祓い坂としての祈りを込めました。(現在はその数を留めていません)
社殿の左面には黒御影石に源義経が弓矢を引く姿を画碑にとどめています。
そのお姿をお守りに印し「勝守」として授与しております。

いただいたパンフによると,どうやら,有明山に富士の小松(富士川の合戦以来担いできていたらしい…担いで…)を植えて,富士浅間の大歳神とやらを祭って,弓矢を神前に捧げたのだそうです。
で,その弓矢を対岸の彦島,つまり,知盛が率いる軍がいる場所にめがけて射ったのだと。すると,知盛は大変驚いて,船を壇ノ浦に進めてしまったんだそうな。――おびき出されたんだな,つまり…。
ところが,出てびっくり! 壇ノ浦にはすでに別の源氏軍が待機していたため,挟み撃ちにあい,平家は滅んでしまったそうな…。
弓,ね…。弓…(笑)。
ニガテとか言っている割に,結構使えているんじゃなくて(笑)?
境内にはこのお話にちなんで,石碑もございました。結構立派な石碑でございます。

あとは,七卿落ちの石碑も。

1度目にここを訪れたときは,17時直前だったこともあり,ご朱印がもらえなかったんです。
でも2度目に友人と訪れたときは,ぴんぽーんと鳴らしたら,宮司さんが出てきてくださいました。

んで,待っている間に…
「まあ,お茶でも」
って中に通してくださって(大笑)
「渋めのお茶が好きなんです」
って,本格的な入れ方でお茶を入れてくださいました。
緑茶はいいですねー,和菓子と一緒だとサイコーです,なんて思わず言ったら,
「では持ってきましょう(にっこり)」
って,和菓子まで持ってきてくれたー!!
ぎゃー,すみませーん!!

いただいたお菓子は,下関の和菓子屋さんのもののようで,中はあんこぎっしり,そして中央に梅が入っていました。
下関のあんこって甘めなんですって。確かに甘かったかなあ。

そういえばこの神社で売っているお守りに,方位除けがあったんです。
四神の名がしっかりと刻まれたお守り。 なんでだろう?と思ったら,本州南西端で裏鬼門なんですって。
だからこそ,ここで九郎さんは戦勝祈願したんだとか。
ちゃんと意味があるんですよ,とおっしゃっていました。 もちろん,せっかくだから買いましたとも。  

それから,以前訪れたときに掲げていた「源義経」の旗,どうしたんですかー?って聞いたら,
「あれはもうやめました」
って(大笑)
ブームもさっちゃったからかな~?
それ考えると,大河の影響って本当にすごいもんなんですね。

作品とのかかわり

作品中には出てきません

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