遙か縁の土地めぐり



海峡守護碇

赤間神宮の前、海岸方向に行くと、海峡守護碇と呼ばれるものがあります。
知盛関係のものです。
近くには説明版もあります。

海峡守護「碇」の由来
水天皇大神安徳天皇をまつる赤間神宮は、関門海峡の鎮めの神と仰がれています。
今を去る800年の昔、源平壇ノ浦の戦いに平家の大将知盛はすべてを見納め、碇を背に海中不覚御幼帝のお供をして、龍宮城へ旅立たれました。
それより「碇知盛」の名で、能や歌舞伎に演じられ、勇将振りがたたえられています。
このいわれをもとに、海参道の入り口を選び、現代の碇を奉納し、御祭神のみたまを慰め、海峡の平安を祈るものであります。


碇のすぐ横は海に続く階段がありました。
そのまま海ですよ、海!(笑)
なんでこんな形になっているんでしょうね…?
近くには謡曲についての説明も。

謡曲「碇潜」と壇の浦
謡曲「碇潜」は、平家一門の修羅の合戦の模様とその悲壮な最後を描いた曲である。 壇の浦の古戦場を弔いに来た旅僧が乗り合わせた渡し舟の漁翁に軍物語を所望する。 漁翁(実は知盛の幽霊)は能登守教経の奮戦と壮烈な最期を詳しく語り、弔いを願う。
旅僧の回向に導かれるように、勇将知盛の姿が現れ、安徳天皇をはじめ一門悉く入水するまでの経過と自らの修羅の戦いの有様や碇を頭上に戴いて海中に飛び込んだ知盛の幻影を旅僧は見たのであった、という構成を持つ「舟弁慶」の類曲である。
壇の浦は急流で知られる関門海峡の早鞆の瀬戸に面した一帯をいう。
平家滅亡の悲哀やその最後を美しくした総帥の面目と情趣に想いの馳せる海岸である。
(謡曲史跡保存会)

すぐ近くには、安徳天皇のと二位の尼の像が。
そうか、そうなんだよなあ、としみじみ思わされるものでございます。

そして行ってみて初めてしったんですが,ここって朝鮮通信使の上陸の地でもあるんですね…。
すぐそばに記念碑がありました。

作品とのかかわり

作品中には出てきません

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