遙か縁の土地めぐり



平家塚

友人と訪れた壇ノ浦。
さあ,今日で最後だわ,というときに訪れようとなったのが平家塚。
ただ,正確な場所がわからないんですよねー。
地名だけは分かっているし,おおざっぱな地図はあるんですが,よくわからんのです。
ですが,ナビ子に対して

「ここ!」

と力強く断言する友人(大笑)
どこからきたんだろう,あの自信!!

で,ナビ子に従って進むと,大きな看板。
をを!あっている!!
しかし,看板があったのは1か所だけ。
それ以降は何も出てこない。
だんだん不安になってくるおなご2名。
なんだかだんだん民家もなくなってきているんですが。

ええええー,どこまで行けばいいの!?と思っていると,右手に「平家塚」と書かれた石が。

ここだー!と近くの道端に車を止めて下りてみました。
それにしても周りにはホントに何もないんですよ。 小さな集落なんです。

で。石碑のそばに行ってみる。 

確かにここのもよう。

なんでも,ここに平家の落人が逃げてきてすんだといわれているんですが,あまりにも壇ノ浦から離れていないので,本当かどうなのかわからないようです。
ただ,あまりにも近かったので,逆に源氏の裏をかけたという話も。
とにかく,里にはお墓が残っていたりもするので,実際に逃げ延びてきた人がいたのかもしれませんね。

入り口付近には,ちらほらと石碑がそこかしこにありました。

目的地はさらに奥らしいので,とりあえず奥に進んでみるしかありません。
奥…。
ここを…進むのか?(笑)
訪れる人が少ないのでしょうね。
手入れされていない道を進んでいくことになります。
虫もいるし,蜘蛛の巣もあるので帽子必須!!

石碑の横にある道を進むと,こんな説明書きが。
訪れる人が少ないと思われるのに,きちんと説明書きがあるのがすごいな…。

平家塚
山あいの里,高畑は壇の浦の合戦で滅んだ平家の落人が隠れ住んでいたところといわれているが,ここは,その落人の墓と伝えられているもので,古い五輪塔六基ほかの墓石がある。
登り道の反対側にも二基,また切通しの市道の向こう側にも四基あり,どの墓も,すぐ前の青い海を丘の上からじっと眺めているようである。
ここは「平家やぶ」ともいわれ,かつてはここに一歩でも入ると,ふるいがつき,たたりがあると恐れられてきたが,いまは月一回地元の婦人たちの手で清掃され,香華が手向けられている。

さらに進むと小さな神社に行き当たります。

これまた近くには説明書きがありました。

霊神社
平家塚に葬られて言える平家落人の霊が祀られているもので,はじめは,平家塚のすぐ近くにあったが,明治の中ごろの大火でこの地に写したものである。
古い一対の灯籠には1789年の年号が刻まれており,かなり古いものといえる。
2つの祠は大火で焼けて新しく作られたようである。
また,こま犬と奥の灯籠は明治40年ごろ忌宮神社に合祀された旧高畑八幡宮にあったものである。 昔から高畑の守護神として敬われてきたが,いまも春(2月)と秋(9月)の年2回,海,山の神饌を供えて祭りがおこなわれている。

そこかしこにある墓石。

そこが神社,ということを示す少し新しめの石碑。

そして神社の奥にあったのがこちらの祠。
ここに平家の人々が祀られているのかな…。

立派なこまちゃんも神社には鎮座していらっしゃいました。

神社から少しだけ戻って別の道を進むと,やはりあったお墓。
これらのお墓ってやはり落ち武者の方たちのものなのかしら。

そして見つけたものがこちら。
これは,落ち武者がここまでやってきたとき,平家の赤旗をたてかけたという松のようです。
当時の松は枯れてしまったのですけれど,その伝説を絶やさないように,今でも松が植え継がれているのだとか。

ひっそりとした集落。 そこに伝わる伝説。

空気もひんやりとしていて,なんだか不思議な雰囲気の場所でした。

作品とのかかわり

作品中には出てきません

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