遙か縁の土地めぐり



松陰神社

萩の町にある松陰神社。
いわずもがな,ご祭神は吉田松陰でございます。 

この神社は,松陰がなくなってから31年後の1890年に松下村塾出身の人たちにより,松陰を祀るほこらが建立されたようで,それがはじまりのようです。
こちらが入り口~。結構大きな駐車場などもあります。

境内には松下村塾もあります。ここで松陰の教えを多くの人が学んだというわけですね。

中にはこのとおり肖像画やら写真が!見覚えのある方がたくさーん。

ちなみに私たちが訪れたとき,松下村塾の中では何やら講義が行われていました。
なので,じっくり見学は無理でした(^^ゞ
私も入ってみたーい。

境内には吉田松陰幽囚の旧宅という石碑もありました。

どうやら松陰の実家なようです。当時もこの場所にあったとのこと。
吉田松陰は野山獄から出たあとは,この邸に幽囚されたそうです。

んで,その後松下村塾に発展していった,と。 そして,松下村塾の奥に神社の本殿があります。

立派な鳥居♪ そして大きな提灯!

神社といえばおみくじ。
「松陰先生教訓入り」に惹かれて思わずやってみる。
大吉が出ました\(^o^)/ 
「悠々たり 天地の事 鑑照明神に在り」と辞世の句がかかれていました。

狛ちゃんももちろんいらっしゃいます。 神社にいくと必ず見て&撮ってしまう…。 その神社で違っていたりするので,興味深いです。

反対側にはこの狛ちゃん。

宝物館の名前は「至誠館」。
友人と大爆笑してしまいました。
いや「至誠」には「誠実なこと」といったような意味があることはわかっていますよ…。
そういったことからこんな名前がついたんだろうな,ということはわかりますよ。
でも,ほら,ネオロマンサーにとって「至誠館」っていったら,あれしかないから…ねえ?

境内は結構広く,歴史館,宝物殿,それから松下村塾などなどたくさんの見どころがあるんですが,うっかりすると見るのを忘れてしまうのですよ…。ひっそりとあったりするものもあるので!(笑)
私と友人は,萩に入った1日目夕方に訪れたのですが,宿についた後,あれこれと調べて重要な史跡を見忘れていることに気づき,2日目も訪れました(^^ゞ
といわけで,見忘れていたのがコレ。

「明治維新胎動の地」と書かれた石碑。明治維新100年を記念して建立されたそうな。

そしてこちらが,同じく境内にある「吉田松陰歴史館」。
なんだか…興味津津。せっかくなので入ってみました(笑)

中では,松陰先生の生涯を蝋人形で説明…! こちらは「兄と共に叔父の教育を受ける」の図。

数えで5歳のときに,松陰は叔父の養子となったそうです。 そしてこれは「御前講義」。

11歳のときに藩主に召されて「武教全書」を講義したところ,藩主はその上手さに感心したそうな。

そんな松陰先生,若い頃はあちこち遊学し,学んだそうです。が,東北諸国の遊歴を藩から許可されたものの,通行許可書を待ち切れずに旅にでちゃったものだから,脱藩の罪を問われたとか…。
本当に勉強家なんだなーと思ったのが,借りた本を読むだけではなく,要点を書き写したとありまして。
松陰曰く,書物は読みっぱなしにするものではなく,必ず要点をかきとることが,不可欠の勉強方法と教えたそうです。
これ,今でも通じますよね…。

その後,当時の日本に必要なのは西洋学であると研究していた佐久間象山に入門。

そして,なんと佐久間象山の指示により海外視察を計画するも,当時日本は鎖国中だったため脱出失敗(^^ゞ
伝馬町獄に送られました。

獄舎に入れられた後,松陰先生は萩に送り返され,野山獄に収容されました。
獄中で勉学を開始し,しかも囚人教育を自主的に開始。
これがのちの松下村塾への基礎となったそうです。

そして,肝心の松下村塾のお話。
身分が低い者は入れなかった明倫館に対し,松下村塾はそうではなかったこともあり,次第に人が集まりました。
しかも講義室に使った建物は,門下生たちの手により増改築されたそうです。
師弟共に同行し,共に学ぶというのが松下村塾の教育方針。
みんなで力を合わせて増改築も行った,と。

そうそう,大河ドラマでもありましたが,松陰の妹は久坂玄瑞に嫁ぎました。 そんなシーンも。

その後,倒幕以外,日本を救う手立てはないと活動を始めた松陰。
安政の大獄があったこともあり,ついに江戸護送の命が下りました。
旅立つ者が松の大木の間から涙ながらに城下に別れを告げるという風習があったそうで,松陰も涙松で萩城下に別れを告げたというシーン…。

江戸で取り調べを受け,もう助からないと悟った松陰は,家族に遺書を書き,そして手記を書きました。
「留魂録」と言われています。死を目前にしつつも,心の乱れが見られぬ名文なんだとか。

そしてついに死罪となった松陰ですが,その時なんと30歳。
松陰の門弟の中には彼のあとを追い,割腹自殺した人もいたそうです。 

30歳…現代だったら,そうとう若い部類ですよね。
もうその年で,この国を動かそうとしていたんだから,今の私たちからしたら信じられませんよね…。

歴史館を出たらもう夕暮れ時。とてもきれいな夕暮れでした。

ああ,そうそう。境内には「薩長土連合密議之處」という石碑もありました。

土佐藩の龍馬,薩摩藩の田上藤七,長州藩の久坂玄瑞がこのあたりにあった宿屋で会い,国事を語り合った…ということを記念して(笑),昭和になってから建立されました。 

おまけ。 2回目に訪れたときは,建物の中で講義が行われていなかったので,外からですが見ることができました。
――松陰先生の肖像画があったのね…(笑)

そして,これまたおまけ。 境内で売っていた松陰だんご\(^o^)/

どのへんが「松陰先生」だったのかはよくわからないけれど!(笑)
ちなみに,夏みかんソフトもありましたー!おいしかった!!

作品とのかかわり

作品には出てきません。

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