遙か縁の土地めぐり



明倫館

萩の町を訪れたら,絶対に立ち寄りたいところの1つ。

松陰の松下村塾が私塾だったのに対し,明倫館は萩藩の藩校です。
晋作ももちろん通っていました。
私たちが訪れたのは2011年。このころはまだ明倫小学校の中に史跡が残っている,という感じでした。
そして,学校では今でも吉田松陰の教えを大切にしているのだとか。すごいなあ。
なお,2014年かな?隣に新しい校舎を建ててそちらに小学校は移転。建物は保存されることになったようですね。

私たちが当時訪れたのは平日したので,当然学校では授業が行われていました。
別の友人が以前訪れておりまして,そのときの様子をSNSにつづっていてくれたんですよね。
なので,行った時迷わずに済みました。
そう,まずは事務室に申し出る必要があったんです。
確かに校門にはそんなことが書かれた看板がありました。
なので,事務室を探すべく,中にGO! 校庭では体育の授業をやっていました。
んで,先生と目があった\(^o^)/
挨拶されたので,あわててこちらもぺこり。

建物に入って右手に事務室があります。
中も相当年季が入った建物…。

事務室に行くと,説明書きを渡してくださいました。
史跡の場所とそれの説明が書かれたものです。
授業の妨げにならないように,見学して下さい,と言われた後は,さあ,れっつだごー!

ずいぶんと古い校舎です。
この校舎は昭和になってから建てられたもので,は昭和10年10月10日午前10時に竣工式が行われたんだとか。10が好きな人がいたのかな~(笑)
東京タワーみたい♪

こちらは観徳門というそうです。
孔子を祀った聖廟の前にあった門だそうです。そうか…孔子か…そうだよな…江戸時代だもんな…。

これは有倫館という建物。
内部の北半分は剣術場,南半分は槍術場として使っていたそうです。

藩士だけではなく,他国からの修行者との試合場でもあったようで,龍馬もここで剣術の試合をしたといわれています。

見よ!この立派な校舎!あああ…いいなあ,この木のぬくもりが!

校舎の裏には松陰講学の碑なるものがありました。
松陰が処刑されてから100年後に建てられたそうです。

そして…これ,何だと思います?

なんと…今でいうプール?(笑)
水練池というそうで,水中騎馬なども行われたとか。
藩校の水練池としては,唯一現存するのだそうです。
石碑も立っていました。

これは聖賢堂,とありました。
大正時代に建てられたもので,中には孔子などの位牌が祀られているそうです。
自動の修養の場として使われていたのだそう。

そしてそして,この立派な門!!

藩主が聖廟を拝するときや,公式行事以外はこの門が開かれることはありませんでした。
平成になってから,建築当初の位置に移築されたんだそうです。

敷地内には,いろんな立派な石碑があったんですが,この石碑は明倫館碑。
左側には,元文年間に建てられたので「元文碑」と呼ばれ,創立の由来を伝えるために建てられました。
右側は嘉永年間に建てられ,開校を記念して建てたものだとか。

この石碑のですね,下の方に注目するとですね…。

カメさん…\(^o^)/ その石碑,玄武岩(笑) 校内にはたくさんの史跡が残されています。
うらやましいな…この学校に通っていた子どもたちが!
――と,ふと自分が通っていた学校を思い出して,もっと学生時代にその学校そのもののことを知る努力をすればよかったなーと。
それなりに自分が通っていた学校も歴史があったのに。
いや,明倫館のように江戸時代…ではないですけれど,中学校の歴史で学ぶ「学制」が制定されたときにできた学校だったのになあ…(笑)

作品とのかかわり

作品には出てきません。

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