遙か縁の土地めぐり



円政寺

萩を訪れたのは実は2回。
両方とも同じ友人と!(もちろんネオロマつながり)
1回目に訪れたときは,時間の関係ですっ飛ばした円政寺に2回目にはしっかりと訪れました。 

晋作や伊藤博文が幼いころ,勉学にいそしんだところなんだそうです♪
門前の石碑にもそのことがしっかりと書かれていました。

お寺の中には,神社である金毘羅社があります。
この天狗の面が有名らしく,晋作もこの天狗に勇気づけられたのだとありました。

――勇気…???(笑)

存在感のある天狗さんでした!
円政寺は,いろんなところの彫刻がとにかくミゴトで!
狛犬の台座に刻まれていたものも素晴らしかったし,拝殿の彫刻も変わっていて素晴らしかったです。
拝殿の彫刻は,十二支がおりまして,思わず探してしまいましたから。

こちらは,高杉さんたちが戯れたという神馬でございます(笑)

この円政寺に行った時なんですが,人がほとんどいなかったんですよね。
私たちが訪れる場所って,たいていそんなことが多いんですけれど!
だからだと思うんですが,ご住職さんがいろいろお話を聞かせてくれました。 

萩という町は,観光で訪れる場所であり,住むのは大変な場所,とおっしゃっていました。
なぜならば,歴史的な景観を守らなくちゃいけないんですよね。
あ,全部の地域ではないと思います。特定の地域だけかと。
そういった地域では,外に洗濯物も干しちゃダメ,お布団もほしたらダメ,増改築もできません。
二階建てのお家は建築しちゃだめ。
何かを建てるときには発掘調査が必要で,その調査費用は土地の持ち主が出さなくちゃダメ…。
そして,必ず夏みかんを植えなくちゃいけないんだけれど,勝手にとって食べたらダメ,なんだそうです。
だから,若い人がどんどん出て行ってしまい,昔はたくさんいた子どもたちが,今では町内に2人しかいない,とおっしゃっていました。
だから,かの有名な歴史ある明倫館に通う小学生も,昔の一学年分しか全校生徒でいない,と。 

普通に観光をしているだけではわからないお話を聞かせていただきました。
とても貴重な体験…。
そして,萩を訪れたあの時からもうだいぶたちましたけれど,明倫館は現在では小学校ではなく,「萩・明倫学舎」となっており,見学が自由にできるようです。

そして! これも教えてもらいました。

鳥居です。
普通の鳥居と違うんです。
縦の柱の上に丸いものがあるでしょう? これはお寺の「数珠」を示しているんですって。
だから,ここは…お寺と神社が一緒にありますよ,ということを示しているそうな。
明治期に神仏分離があったことを考えると,とても珍しいことですよね。
ご住職曰く,宝鏡寺宮の御真筆があったために,このようにして残っているそうです。 

いろいろお話を聞いたあと,外に出ると,なるほど…とわかります。

右側が景観に厳しい地区。
左側が違う地区。
右側の地区は,車の車庫のシャッターさえも,木でつくらなければならないそうです。
一方左側の地区は異なるので,普通のシャッターです。
こんなにも違うんですね。

作品とのかかわり

作品には出てきません。

TOPへ