遙か縁の土地めぐり



五代目弁慶松跡

田辺の市役所にあった弁慶松は移植したもので,本来はここにあったそうです。
つまり,こちらの弁慶松は五代目。
その名残は,この碑のみ。
これなかったら,わからんわなー…。

弁慶松跡
文治五年武蔵坊弁慶は奥州衣川で,義経を守り壮烈な立往生をとげた。これを聞いた故郷の田辺の人々は湛増邸の一隅に松を植えて,その生涯をしのんだ。
初代弁慶松は天正年間,上野山築城にあたり,用材に使われたが,古蹟複旧を重んじた紀州藩主により復活され,五代にわたりこの地に植えつがれてきた。また,熊野詣の帰り,人々は必ずこの松を訪れ,松の葉を記念に持ち帰ることが風習になっていたという。
昭和五十年人々に愛され親しまれてきた弁慶松五代目は枯死し,また,都市計画道路の開通により,その跡を消失するので,こゝに碑を建てて,永く顕彰するものである。

碑の一部を拡大すると,あらま,「弁慶松」という看板が。
それにしも,描かれている人物と比べてもずいぶんと大きかったんですなあ。

六代目弁慶松と産湯の井戸についての説明書きもありました。
市役所にありますよー,という案内板でございます。
どうせなら,これくらいの説明書きが市役所のほうにほしかった(笑)。
これじゃあ,ここにこないとわからんわー。

六代目弁慶松と産湯の井戸
五代目の弁慶松は昭和50年,この地で枯死したが,その種子から育てられていた六代目弁慶松がその後,田辺市市役所前に植えられ,順調に成長しております。
そしてまた,付近にあった弁慶産湯の井戸も発掘された同時代のものを参考にして,同所に復元されています。
ぜひ,お立寄りください。
尚,同じ六代目弁慶松は弁慶が壮烈な戦死を遂げた,奥州平泉に植えられています。

事前の調査は念入りに,という教訓でございます(笑)

作品とのかかわり

作品には出てきません

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