遙か縁の土地めぐり



熱田神宮

名古屋に源平史跡はあるのかいな~と探したうちの1つ。
思いの外大きな場所だった(笑)
そう,熱田神宮です。
牛若丸が奥州の藤原氏のもとへ向かうとき,ここの大宮司を烏帽子親として元服したという言い伝えが残されています。
といっても,何もあるわけではないので,すべて妄想で補うしかない(笑)

そして,頼朝にも関係があります。
熱田神宮の大宮司藤原季範の娘が源義朝,つまり頼朝の父に嫁ぎ,生まれた子が頼朝です。
頼朝の出生の地は熱田神宮の目の前ですからね。
頼朝はそのため,熱田神宮を崇敬し,のちに鎌倉の鶴岡八幡宮には熱田社を勧請したとのこと。
まさか頼朝さまの生まれたのが熱田神宮の近くだとは,知りませんでした…。

なぜか境内には鶏が…!自由に!!歩き回っていた…!(笑)

境内に「ならずの梅」というものがありました。
なんと,高さ3mもあり,江戸時代の絵にも描かれているような木のようです。
なんでこんな名前なんだろ?と思ったら,花は咲くのですが,実がつかない,ということで「ならずの梅」と呼ばれているそうです。

境内を歩いていたら,突如現れた不思議な壁。
「信長塀」と言います。
――よく考えたら,信長も関係していたんだっけ…名古屋って。
信長が桶狭間に出陣する際,熱田神宮で必勝祈願をしたらしいです。で,戦いに勝ったので,お礼として奉納した…って,塀を奉納するの!?
日本三大土塀らしいですよ?
あと2つはどこなんだろうと思ったら,西宮神社と三十三間堂だそうです。

木々に隠れるようにあった燈篭。
「佐久間燈籠」と言います。
佐久間大膳亮勝之という人が海難にあったとき,熱田神宮に祈って助かった,ということでお礼に奉納したそうです。
江戸時代から日本三大燈籠の1つとして知られているのだとか。
他の2つはどこだ~とこれまた気になって調べてみたら,南禅寺と日光東照宮でした。
――気づかなかった…。

作品とのかかわり

作品には出てきません

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