遙か縁の土地めぐり



平時忠一族の墓

そもそも,なんで能登半島を旅しようなんて思ったかというと,まあ,義経の伝説が散らばっているというのが第一なんですけれど,調べてみたら平時忠が流された地ということもわかったので,ああ,これはきっといろいろあるんだろうな,と思っていたわけです。

平時忠といえば「平家にあらずんば…」といった張本人。
壇ノ浦の戦いの後,三種の神器の一つ神鏡を差し出したこともあり,命を取られることはなくこの能登の地に配流となりました。
ちなみに,自身の娘蕨姫を義経に差し出しています。
――義経よ,いったい何人奥方がいるんだね…。あっちこっちで愛妾の伝説も残っているしなあ…。

で,時忠一族の墓があるということで,一日目の最後に訪れてみました。
日も暮れようとしている時間帯。
とりあえず行くだけ行ってみようと。

近くには車を止められる場所もあるので,ある意味便利。
場所は迷いませんでした。だって,これがあったし。 

すごい目立つ案内板(笑)

時忠について詠んだと思われる句碑もありました。
なお,これが墓ではありません。
これはあくまでも入り口。
すぐそばに小さな案内が出ていたので,それに沿って階段を下っていきます。
すると現れたのがこれ。

いきなり現れた蝶紋。
一気に上がるテンション\(^o^)/
この蝶紋,フェンスについていたのだけれど,そのフェンスの中にあったのが,お墓。
フェンスの中に入ることはできませんでした。
入り口らしきものはあったのですけれど,閉じられています。
いろんなところに掲載されているものを見ると,中に入れるみたいだったので,タブン,時間の問題でしょう(笑)
いや,だって私たちが着いたのって18時前だったし。
もう暗かったし…。
くっ…無念。
フェンス越しに中をのぞく

近くで見たかったな~。

案内板がお墓のすぐ近くにあったんですけれど,これを見ると結構広い。
そして,結構ちゃんとした見学コースになっている…。
私たちが訪れたときは,だーれもいなかったですけれど!!

案内板を見て,私たちの心の琴線に触れるものを見つけてしまったので,それを求めてあたりをうろうろ。
そして,見つけたのがこちらでございます。

案内版からして,山口誓子のものと思われる歌碑らしきものもあり――
その目の前にあるのがこちら

松の木でございます。
しかし,この松の木,ただの松の木ではございません。

読めますね。
「平清盛お手植え松」とあります。
なぜこのような場所に?そう思ってよく見ると
「広島県呉市音戸町 平清盛お手植松(子松)」とありました。
詳細は分かりませんが,この文言からするに,音戸町に植えられた松の子孫をここに植えた,ということでしょうか。
音戸は,清盛が暮れゆく太陽を招き返して,工事を1日だったかで終わらせたという「日招き伝説」で有名な「音戸の瀬戸」のあの音戸ですよね。
いろんなところで伝説の地がつながっていく(笑)

さて,見終わった後は,すっかり日が暮れてしまったこともあり,駐車場に戻りました。
なお,駐車場にはバス停もあります。
そのバス停――

まるで人の名前みたい…と思われるでしょうけれど,ええ,人の名前です(笑)
時忠の息子を祖とする則貞家。説明書きには,もともと実名であったものを家名とした,というようなことが書かれていたので,則貞家が住み着いた土地だからそのまま,家名が土地の名として残っているのかもしれませんね。
私も詳細はまったくわからないのですけれど。
「平」と名乗るのはいろいろと支障があったようで。名を姓とした人が多かったようです。
ちゃんと調べたらいろいろ出てきて面白いんだろうなあ…。

作品とのかかわり

作品中には出てきません。

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