遙か縁の土地めぐり



為盛塚五輪塔

平維盛を総大将として倶利伽羅の戦いに出陣した平家軍。
その中の武将の一人としていたのが平為盛です。
平頼盛(=清盛の異母弟)の次男ということです。
倶利伽羅の戦いで敗れた平家軍。
為盛もその戦で命を失いました。

為盛塚五輪塔
この五輪塔は,上から空風輪,火輪,水輪,地輪が一式として完存し,組み合わせた状態での塔高は172cmである。水輪の一面には,金剛界の大日如来を表す種字「バーンク」が梵字で刻まれている。
全体にゆるやかに軒が反る心反りの特徴がみられる火輪や,やや縦に長い球形を呈する水輪,刻まれた梵字の雄渾な書体などの諸特徴から,13世紀ごろ(鎌倉時代)の製作と推定される。富山県内でも古手の大型の五輪塔であり,石造文化財としての価値も高い。
もとは,小矢部市城山町の旧石動小学校敷地内の東端にあった為盛塚と呼ばれた塚の上に設置されていたが,のちに塚が破壊されて五輪塔のみが当地に移設された。
平安時代末期の倶利伽羅峠の戦いで,平家軍の武将として戦った平為盛の供養のために建てられたとの伝承がある。
平成26年10月31日 小矢部市教育委員会
作品とのかかわり

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