遙か縁の土地めぐり



葵塚・巴塚

おそらく「遙か3」をやらなかったら,この場所の存在すら知らなかったかもしれません(笑)
倶利伽羅不動尊からもだいぶ離れていますからね。
ちょっとわかりづらい場所にあります。
グーグルマップにも場所が載っていませんし(^^;
2015年に訪れたときは,以前訪れたときよりもだいぶ整備されていて,わかりやすくなっていた記憶があります。
少なくとも入り口はわかる(笑)

んで,歩いていくと,このように山の中を歩くことに(^^;

やがて巴塚にたどり着きます。
巴御前は木曽義仲に付き従い,倶利伽羅の戦いでは大将の一人として共に戦ったと言われています。言い伝えでは。

石碑と説明板が立っています。

巴塚
◆碑文
巴は義仲に従ひ源平砺波山の戦の武将となる
晩年尼となり越中に来り91歳にて死す

 

◆由来
源平合戦の後,和田義盛と再婚した巴御前は豪勇を誇った朝日奈三郎義秀を生んだが,その後未亡人となり,後生を福光城主の石黒氏に託した。
石黒氏とは共に倶利伽羅合戦において平軍を攻めた親しい間柄であった。
尼となり兼生と称し,宝治元年10月22日没し石黒氏が此の地に巴葵寺を建立したと伝えられている。(小矢部市)

少し離れたところに葵塚があります。
葵御前も巴御前と同様に,義仲の愛妾です。でも,調べてみても巴御前ほどあまり情報が出てこないんですよね(^^;

葵塚
◆碑文
葵は寿永2年5月砺波山の戦に討死す
屍を此の地に埋め墳を築かしむ

 

◆由来
葵は義仲の武将となり,倶利伽羅の戦に討死したので屍をこの地に埋め弔ったと伝えられている(小矢部市)

これ以上の情報はなし…(^^;
さらに,近くには巴葵寺跡なるものの説明板が立っていました。

巴葵寺跡
宝治元年(1247)巴没後,石黒光弘のはからいで,この地に巴葵寺を建立した。
のちに長禄年間燹火(せんか)のため焼失すと記される。
作品とのかかわり

怪異があった場所

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