遙か縁の土地めぐり



追分明神

栃木県と福島県の県境。
追分明神という義経ゆかりの史跡があるということで行ってみました。
道路に面しており,駐車場はないため,車が来ないことを確認して,数分だけ道路に止めてダッシュで見てきました(笑)
追分明神
治承4年(1180)8月,兄の源頼朝が伊豆(今の静岡県)に平家追討の旗を挙げたことを,遠く奥州平泉(今の岩手県)できいた源義経は,矢もたてもたまらず,藤原秀衡にお願いして鎌倉へ上ることにしました。
弁慶・常陸坊海尊,四天王と言われる亀井・片岡・伊勢・駿河をはじめ,新たに郎党(家来)となった佐藤継信・忠信の兄弟らを従え,奥州路を白河の関へかかります。
白河の関は,その昔は,関東と奥州との境の大切なとりででしたが,義経のころは,もうすでにさびれた山砦にすぎなかったことでしょう。中秋の暑気を残して,陽は赤く豆沢の山におちかかっていました。

説明書きにはこうあったのですけれど…なんか,話が途中で終わっている感満載(笑)
そして,義経との関わりがイマイチわからん!!
要するに,通りましたよ,ってことのようです(^^;

ちなみに,階段を上った先には小さな祠などがあるくらいで,本当にさびれてしまっています。
どうやら創建は坂上田村麻呂,と言い伝えられているようですけれど…。
つまり,坂上田村麻呂も通った,と。
きっとほかにもいろんな人が通ったんでしょうね。

なお,追分明神を起点として南下していくルート,つまり,義経が通ったと思われるルートに数々の史跡が残っています。
看板が出ているので,道路沿いにあるものは比較的見つけやすいです。
が,ホント,突然出現するので,気を付けて見ておかないと通り過ぎちゃいます(^^;

作品とのかかわり

作品中には出てきません

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