また,境内には「餅つき唄」なるものの看板も。
無形民俗文化財 餅つき唄
この餅つき唄は平安時代の末期,治承4年(1180)那須十郎,与一兄弟が源九郎義経の家来となって,平家追討の旅にたつ時,福原の民がその出陣を祝って,激励の力餅を大勢で面白くかわるがわるついて差し上げたのが始めと伝えられている。
毎年9月上旬,福原玄性寺において,那須家の供養に餅つき唄を奉納している。
1.那須与一公は色白で,おとこ美男で旗頭
1.福原の温泉林の八重桜,八重につぼんで九重に咲く
1.九重が十二ひとえに咲くならば,温泉林は花でかがやく
1.友達がたまにきたのになにもない。天上とぶ鳥がんの巻物
1.巻物をといてのばして酒肴。ひとにおあがりの玉酒
1.師ら河の天守やぐらのはねつるべ。こんどよく見なあがりさがりを
1.この餅はいくらついたと聞いたなら,二石三石八おけ八かます
ちなみに,この餅つき唄。
この文章を書くにあたって調べたんですが,5行目の後半が他のサイトの情報だと「ひとつおあがり菊の玉酒」なんですよねー。
玄性寺にあった看板は上記のとおりなので,そのままとしましたが,さて,どっちが正しいのかな?(笑)