遙か縁の土地めぐり



弁慶下駄掛石

弁慶さんはあちこちに妙なものを残していらっしゃいますが(笑),これまた栃木で見つけた史跡。
事前に調べたときは,さてさて,本当に見つかるかしら?と思っていたのですが,現地に行ってみて,それは杞憂であったと思い知る。
いやあ…目立つ,目立つ(笑)
大丈夫です。これは。
地図上で大方の位置さえわかっていれば,絶対に見逃さないと思います。それくらい目立っていました。
車が止められる場所も十分にあるくらい。
案内場もありました。
弁慶下駄掛石伝説由来
伊王野地区は那須町の中でも古くから人跡が認められる地域であり,縄文,弥生遺跡が数多く点在している。古代,中世,近代へと連綿と続く歴史を背景として文化遺産に恵まれた地域であり,ここ睦家は古代東山道の比定コースにあたり,黒川駅家の有力な候補地である。またこの地域は関東の境に位置し,坂上田村麻呂をはじめ源頼義,義家など,多くの武将がおうしゅうを目指した街道筋でもある。治承4年(1180)兄,頼朝の挙兵に呼応して,奥州平泉を発った義経一行もまたこの地を通って鎌倉へと向かっている。「弁慶下駄掛石」の伝説はこのときに由来するといわれている。
この石は昭和初期まで現存したが道路の拡張工事に伴い支障となり撤去されたと言われている。郷土に伝承された義経伝説を忘れることなく,後世に残すため,「弁慶下駄掛石」を復元したものである。

伝説
鎌倉へ向かう義経一行がこの地に差し掛かった頃。弁慶が道の傍らにある大きな石を指さして言いました。
「おい,みんな。この石はおれが那須山で修業三昧していたとき,下駄の歯にかかって,挟まった石よ。取ろうとして軽くひとふりしたところ,ここまで飛んできたのよ」というと,義経をはじめ,一同大笑いしました。
この石が,地域の安寧と往来する人々の安全を守り,大いに親しまれることを願う。

平成23年10月15日 那須町伊王野地区梁睦自治会

ふむ。つまりこれは本物ではなく(笑),復元品なのか~。ちょっと残念。
道路を拡張したころはきっと歴史的な遺物を残すという考え自体が存在しなかったんだろうなー。街並みをきれいにすることのほうが優先度が高かったんだろうな…。

で,石の近くには下駄までありました(笑)
にしても,弁慶ってあちこちで石を投げまくってますのう…。

作品とのかかわり

作品中には出てきません

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