瀬見温泉から鳴子温泉への道中にあった史跡。
「関」という名前からわかるように関所でございます。
ちょっとわかりづらい場所にございまして,鳴子温泉に向かう途中に尿前の関の駐車場がありまして,そこに車を止めたんですよ。
すぐそばにあるのかと思ったら,そうではなくて,え?どこっ?となったら,下に降りる道があったかと。
尿前の関
瀬見温泉から鳴子温泉への道中にあった史跡。
「関」という名前からわかるように関所でございます。
ちょっとわかりづらい場所にございまして,鳴子温泉に向かう途中に尿前の関の駐車場がありまして,そこに車を止めたんですよ。
すぐそばにあるのかと思ったら,そうではなくて,え?どこっ?となったら,下に降りる道があったかと。
そしてたどり着いた尿前の関。
説明書きによりますと,このあたりは国境でとして柵が設置されていたそうです。「秀衡の世に…」という文書があるようですから,その時代にはあったということでしょう。
番所が建てられたのは江戸時代に入ってからのようですけれど。
んで,なぜここをわざわざ訪れてかというと,もちろん義経に関する史跡だからです(笑)義経伝説の説明版もちゃんとありました。
義経伝説「弁慶の船引き」
陸奥の国に入った義経一行は尿前の関守館に旅装束をとき,ちばらくぶりに安らぎの一夜を明かした。山の幸・川の幸でもてなしを受け,川下の川原湯に案内された。北の方はことのほか喜ばれ朝な夕な亀若丸と共に入浴して長途の疲れと産後の回復にしばし留まることになった。毎日の送り迎えは盤珪の日課となった。
以前,上鳴子には船渡・船引という地名があったが,これは北の方の毎日の入浴に弁慶が流れを漕いで船を引いたことからでた地名だという。その温泉は川湯原(現在の姥の湯)だといわれ,亀若丸を湯に入れて「この地,もはや藤原秀衡の国なれば泣き玉うともはばかることなしと申しければ,初めて泣き玉う」と。故に「泣き子の湯」といい,瀬見の湯は「なかずの湯」といったという。
鳴子町史より 鳴子町観光協会
なお,息子の亀若丸が初めて放尿した場所だとか,北の方が苦しみのあまり尿をもらしたとか,そんな話も伝わっているそうです。だから名前も…と(^^;
歴史が記載された石碑も建っており,松尾芭蕉も訪れたことが記載されています。
なので,場所も像まであったり(笑)
ちなみにいつものことですが,私たち以外,誰もいませんでしたー!!!!(笑)
作品には出てきません。