遙か縁の土地めぐり



瀬見温泉

まずは瀬見温泉になぜいったのか,というところから(笑)
じゃないと,各史跡を見て,いったいなんだかわからないかな,と思いまして(笑)
瀬見温泉はまとめて1つの史跡といえばそれまでなんですけれど。(つまり,各史跡の項目として立てることが難しいところがあるのです)

さて。 私たちが訪れた瀬見温泉。
とても小さな温泉街でした。
入り口には――

いきなり本題(笑)
いや,でも「発見」って(笑)

ちょうど説明版までありました。

 瀬見温泉
文治3年(1187年)春,兄頼朝の追討の手を逃れ,欧州平泉に落ち延びる義経主従13名は,亀割山中で一夜を過ごした。ところが,予てより身重の北の方が急に産気づき,亀割山の子安観音で亀若丸を出産した。
その若君の産湯を求め,弁慶が沢を下り,瀬を渡って,紫雲立ち上る川辺にたどり着き,大岩を薙刀で突き破るとふつふつと熱い湯が噴き出したという。若君の産湯としたこの湯こそが,瀬見温泉の開湯と今に伝えられている。
数日この地で滞在し,北の方の回復を待って,一行は再び平泉へと向かったのだという。
鎌倉時代の英雄,義経と弁慶のロマンに満ちた瀬見温泉は,江戸時代には新庄領内随一の温泉場として賑わい,また歴代の新庄藩主の入湯場ともなっていた。明治以降も瀬見温泉は今日までずっと,義経・弁慶ゆかりの温泉として人々に愛され,親しまれ続けている。

ということで,伝説が残っているわけであります。
小さな温泉街のあちこちにたくさんの伝説が転がっていました(笑)
まずはこちら――

「義経大橋」と名前がついていました。
これを見た友人。
「思ったよりおっさんだ」
そうか…。確かになあ…(笑)
そして,街中でみつけ道に埋められたタイル。 

そしてお土産屋さんにあった品。
その名も「うぶゆまんじゅう」!!

さらにあった弁慶どら焼き。
義経よりも弁慶をクローズアップ!
まあ,温泉掘り当てたのは弁慶だしな…。

ちなみにどら焼きを買ったのですが,お店のおばあちゃんがおまけに売り物のお饅頭とおせんべいをおまけにくれました(^^)/

さらに街中を歩いていると,こんな看板を見つけました。
でも,残念ながらお酒は売っていなかった(笑)
売っていたら,たぶん買っていたんだろうなー。

橋の欄干には笹りんどうがついた兜が。
義経の,ってことなんだろうな。

さらに亀若丸の名前が付けられた橋もありました。

ちょっとわかりづらいんですけれど,「弁慶大橋」なるものもありました。

街中には,シャッターにこんなものが描かれていたり。

調べるまでは知らなかったんですけれど,こんなに義経・弁慶を全面に出している温泉があるんですね。

作品とのかかわり

作品には出てきません。

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