遙か縁の土地めぐり



源義経妻子の墓

ホテル(武蔵坊)のすぐそばに立て看板。
「徒歩3分」という微妙な言葉を頼りに歩くこと数分。
「徒歩3分ってさー,人によって違うんだから,何メートルかキョリを書いてほしいよねえ」
なんて話しながら。
歩くうちに,右手に妙な建物。
お堂のようなものでした。
こ,ここかっ!?
――ん? 違うなあ…。
うろうろしていると,このお堂の隣に発見!

小さな石の塔が二つ立っていました。
これか…。
友人とともに手を合わせて南無南無…。
ここで静かに眠っておられるのですね…。
誰が立てたんだろう…。

近くにあった説明書きにはこんなふうに説明されていました。

源義経公妻子の墓
源頼朝の威圧に依って藤原泰衡高舘に義経公を襲った。義経公は北の方と幼児を殺害し,自害したと伝えられる。
時は平安時代の文治5年閏4月30日,31歳で最期を遂げられた。
このお墓は,高舘で悲しくも露と消えた妻子の墓と伝えられているが,元は千手院境内で,ここから約300メートル程の西北金鶏山の山麓にあったが,ここに墓石を遷し供養を怠らない。

そして,このお墓,実は金鶏山の登山道入口にひっそりとたっているのでありました。
あえて高館ではなく,この場所に。
いったい誰がたてたんでしょうね。

作品とのかかわり

作品には出てきません。

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